「かの大国の国民は、真実を知らされていない」この声がある。
共産国に対して、常に語られる言葉だ。
この言葉を、昔話になぞらえて解釈してみよう。
「最近の平等教育で、昔話の結末がゆがめられている」
世のお父さんたちが嘆いている話題である。
「むかしむかし」で始まるお話、たとえば――
どんぶらこと流れてきた桃太郎は、鬼退治に向かうのだが、
最後には鬼たちを倒して、めでたしめでたしとなる。
と教わったのはお父さんたち。
現代の子供たちは、
「桃太郎は鬼と仲良くなりましたとさ、めでたし」となっている・・?
たとえば――ウサギと亀では、
最後には、山のてっぺんに、ふたりで手を繋いでゴールして、
めでたしとなっている・・?
?マークを浮かべて嘆いているお父さんたちは、
「これから厳しい社会の中に放り込まれて、コレで大丈夫なのか?」
にがにがしく、こぶしを握りしめている。
さて、ここで思いを新たにしてみよう。
「お父さんたちが覚えた昔話は、元々その通りの話だったのですか?」
ひょっとすると・・・
歴史のどこかの節目に変わっていた可能性はないだろうか?
たとえば――
・鬼退治に行った桃太郎は、鬼が憎くて、
その子孫まで残らず絶やしたのであった、めでたし~
・亀は、ウサギに負けるのが分かっていたので、前日にあらかじめ、
山中に落とし穴を掘っておき、ウサギを落としていた、めでたし~
(あくまで私が想像した無茶ぶりなのだが)
これじゃあ、教育上あんまりだと言うことで、
結末が変えられた可能性はないだろうか?
現代の昔話とお父さんたちが知っている昔話を、
どこかに併記しておかないと、
お父さんの方の話は忘れられるかもしれない。
これは、私の杞憂だろうか?