泳げない人のことを、《カナヅチ》と言う。昔からそう言い、今でもそう言う。
誰が言いだした言葉だろうか?
非常にセンスのある表現だ。
おそらくその方は、自分のカナヅチを水の中に、
落としたことがあるのだろう。
屋根の修理をしていた時、ふと手が滑り、カナヅチを落とす。
屋根から落ちて・・・水槽へ。
ドボンッ、
あれよあれよと沈んでいった。
木の棒だけが、ユラユラと水面に向かって、
未練がましく手を伸ばしていたのを、見逃さなかった。
のちに、海で溺れている人を見た時、カナヅチの、
木の棒を思い出したのではなかろうか。
「ありゃ、カナヅチだゼ」
仮に、そうつぶやいたのが大工の棟梁だったとして、
カナヅチの中にも、鉄の部分が小さい奴もある。
その小ぶりな奴を、先ほどの水槽に沈めてみたら、
なんとなく浮かんでいる。
鉄の重りと、木の棒の浮力がつりあっているのである。
木の棒の先っちょが少しだけ出て、プカプカ浮いている。
そこで棟梁は、つぶやく。
「泳げねぇ奴は、なんか体に付けナ」
浮力帯という考え方が生まれた。
浮き輪という優れたものに発展した。
では、泳げない人のたとえは、
オノでも良かったのか?
ナタでもよかったのか?
オノやナタの方が池や川の近くで振るう機会が多く、
手から離れ、ドボンの可能性が高いとも言える。
《金のオノ》の逸話は、まさに泉に沈んでいくオノであった。
それでも使われなかったのには理由があるはずだ。
「あいつは、オノか?」
小野さんが振り返るかもしれない。
「きみはナタか?」
奈多さんだって、立ち止まる。
なんたって、「金槌さん」はそうそういないと思える。
大工の棟梁も心おきなく、指さしたのである。
「おい、かなづち!」