《波佐見焼》 はさみやき という焼き物がある。陶磁器である。
長崎県の中央部に、波佐見町がある。
山間の集落で、訪ねてみると、100年前から、
変わっていないのではないか、
と思えるほどの町並みが、そのまま残されている。
すべてが、陶磁器を作る為の集落だ。
町のそこかしこにレンガ造りの煙突がニョキニョキと伸び、
決して計画的ではなかっただろうアトランダムな美しさをみせている。
登り窯のいう焼窯のセイなのか、町の中のほとんどの道が坂道。
《はさみ焼》?
ピンとこなかったアナタの為に、この陶磁器の説明を少し。
民陶(みんとう)という言葉がある。
庶民が普段使う陶磁器のことだ。
陶磁器とは割れにくい。
対し、陶器はやや割れやすい。
その陶器には、芸術の香りただよう作品があまた作られ、
0のたくさん表示されたモノもある。
では、波佐見焼はどうかと言えば、完璧なる民陶である。
今、アナタの家の食器の中に、波佐見焼があるかもしれない。
ふだん使っていて、飽きない食器。
試しに、《波佐見焼》とネット検索してみると、
「あっ、これウチにある。あっ、これも」
意外や、日本全国にあふれている。
でなければ、あれほどの町並みが残る訳がない。
《リーチ先生》 原田マハ著
民陶の話が書かれた小説であり、私の今年一番の読み物。
題材が、陶芸の話であり、冒頭は、大分県の
《小鹿田焼》おんたやきの里から始まる。
この小鹿田焼も、アナタはどこかで見たことがあるだろう。
それぞれの民陶と呼ばれる食器も、いまでは今風の、
オシャレなものも作られ、
値段もそれなりのモノもある。
私もプレゼントに贈らせてもらうこともある。
食器は飾るのも一興だろうが、毎日使っているモノに愛着がわく。
それが、仮に割れてしまっても仕方がない。
割れるかもしれないからこそ、愛着が増すのではなかろうか?
というのは、さっき我が家の中で、最も好きな器を割ってしまったのだ。
朝からその破片を集めて、ジっと見ている私がいる――