ときおり、山の中で雨が降ってくることがある。というより、そもそもは、雨の日は山に行かない。
昨今はよく当たる天気予報を信じて、山行きをやめる。
それでも、予報が微妙な時には、決行する。
なぜか?
森林限界を越えない山では、しとしと降る程度の雨は、
地面にまで落ちてこない。
樹木の葉っぱが、雨の水滴をいったん受け、こまかく散らばす。
すると森の中は、霧が湧いた幻想的な景観になる。
なおかつ涼しい。
快適な登山となる。
その日は、初めて一緒に登る方と霧の中の登山となった。
将棋の棋士(きし)、《中川大輔八段》。
将棋好きの私が、30年来、その棋風が好きになり、
テレビなどで戦いぶりを観てきた方である。
山にも登られるストイックな方でもある。
御年53とは思えない引き締まった身体。
いつもは、一人で山の中を風のように動いているらしい。
《御前山》 ごぜんやま 1405m
東京都の奥多摩にある山で、奥多摩湖のダムから歩き出す。
標高差850mほど、登り下りで5~6時間。
この日は、まさに霧中登山となった。
視界40m
そのセイで、遠近感が顕著になる。
ピントの合い方が、近くと遠くで随分違う。
幽玄郷をそぞろ歩いているような気になる。
とはいえ、そこは急登。
ウンセウンセの連続、涼しいのに汗びっしょり。
ハタと前を登る中川氏を見あげると、涼しい顔をしている。
汗すらかいていない(ように見える)。
こんな急登など、へでもない顔をしている。
実際、登りながらの会話では、
私がヒィーヒィーの合間に言葉を吐きだしているのに対して、
中川氏は、森の静けさと同調する語り。
元来、ハスキーなのだろう、弦楽器のこすれる音が、
森によく合う。
テレビの将棋解説では、ユニークな語りで、
我々を楽しませてくれる。
棋士の言葉選びは、みんな独特で頭脳明晰さを、
ふんだんに振りまくものだが、中川氏は、素人目線で喋ってくれる。
試しに山中で訊いてみた。
「登りながら、頭の中で対局できますか?」
いわゆる目隠し将棋というモノ。
プロは、将棋盤が頭の中にあり、その中で駒を動かし、
戦いができるのだ。
「まあ、できますネ」
「最後の勝った負けたまでできるんですネ」
「ただ、問題は最終版の駒台にある、歩の数ですね」
相手から取った歩がいくつあるのか?
自分の分はすぐに分かるが、相手の駒台の上にある歩が、
時に定かでなくなる時が困るという。
歩が2つだったか、3つだったか・・・
これで、対策がまったく違うと言うのだ。
そりゃそうだ、素人はともかくプロは、
歩の操り方で決まるのが将棋の世界。
普段の対局では、目で見れば分かるが、なんたって、
山道を登りながら、頭をフル回転しなければならない。
試しに私も以前やったことがあったが、セオリーの定石どおりに、
進めているうちは良かったが、相手が駒を取りだすと、
もうパニックになる。
なにがなんだか・・・
特に、角のききが分からなくなる。
相手も分からなくなり、グジャグジャになって、おしまい。
二人で、40手ほどで、クタクタになったものだ。
さてと、山頂はまだかいな~
《ガッツポーズをとる朽ち木》に話しかける 中川氏