「おどけるけんじろう君の手前にいるのは、父親ではない」
~~~昨日のつづき~~~
別府の料亭旅館に中学3年のころに住んでいた話。
あまりの広さに、3家族が同時に住むという所業。
なのに一カ月に一回ほどしか出会わない。
さて、時は流れて、その夏になった。
子供たちは夏休みである。
ある日、父親が池の前に立ち、言い放つ。
「池が汚い」
池とは濁っているものである。
緋鯉が悠然と泳いでいる池の水が澄んでいるなど聞いたことがない。
「洗おう!」
言い出したとたん、どこかに出かけ、バカでかいポリバケツを借りてきた。
「水を抜くゾ」
池の水はどこかに向けて流れ出しているハズ。
もっとも上流では、毎日水を注いでいるのだから、当然だ。
そこで、けんじろう君に命じて、水の出どころを探させた。
このたぐいの命令が大好きなボクは、ハチマキをして、
池の水シモ地域を探し回る。
といってもすぐに見つかった。
木の杭があり、《出水》と書かれてあったのだ。
ところが、水は満々と溜まった上部から流れ出しており、
栓に当たるモノは、水底にあるらしい。
「抜きなさい!」
さらなる命令に、水中眼鏡をかけたボクが真夏の池にいどむ。
そこには、ドロっとした粘土状のモノが積もっている。
朽ちた落ち葉の堆積物もふんだんに・・・
栓は、分かりやすかった。
長さ30センチ、直径5センチほどの棒きれに布を巻いて、
栓にしてあった。
ただし、深さがあり潜らないと抜けない。
ここはひとつ手が届きそうな父親が、腕まくりをし、裸でとびこむ。
裸なのに腕まくりとはいかに?と思われるだろうが、
日頃の習慣とは恐ろしいもので、裸になったあとに、
右手で左手側のそでをめくる動きを父親はしていた。
大人はめんどくさい。
ズボッと鈍い音がして栓が抜ける。
ゴオォ~~と水が流れ出したと言いたいのだが、
すぐに泥が詰まって、ジャージャーとはいかない。
溜まった泥を掻き出さなくてはならない。
「たのんだゾ」
頼まれた次男坊の奮闘やいかに!
シャベルやスコップを頼りに、
ほとんど濁りきった泥のような水に浸かっている。
映画《地獄の黙示録》が公開されるまでに、
あと15年は待たなくてはならない時代である。
様子を見に来た母親が、
「キャッ!」とだけ叫んで戻っていった。
緑色のモノが頭から顔面にへばりついている姿に、
自分の子供だと認めたくなかったのだろう。
それとも、初めて河童を見たのだろうか。
池は、本当に広かった。
大量の水があったとみえる。
完全に水が抜けるまで、一週間ほどかかった。
特に後半は、ドロの掻き出し作業にあけくれた。
底はコンクリ―造りだった。
そして、最も深い場所は池の真ん中にあり、そこに溜まった水は、
バケツで汲みだす。
というより、ドロをこれでもかこれでもかとバケツで運び出し、
庭の奥に積んでゆく。
と、簡単に述べたが、実は水がかなり減った頃、
池にいた鯉が暴れだした。
そりゃそうだろう、棲み家を襲われているのだから・・・
その時になって気付いたのは、緋鯉が1匹いれば、
その10倍の真鯉がいるという事実。
これまで黒くてよく見えなかっただけなのだ。
体長も30センチ~60センチ以上。
タモで掬っては、真水を溜めたポリバケツに放り込む。
しかしどう考えてもバケツの数が足りない。
すぐさま父親が、どこかに出かけていき、さらに借りてきた。
池の水が減るにつれ、鯉をすくうのが楽になる。
逃げる場所が少なくなるからだ。
鯉をすべて掬い終わりなんとなく数えてみたら、
数百匹は、いると判明した。
つまり、これから池を復元するまで活かしておかねばならない。
ど・どうするんだ?
あっ、また紙面が尽きた・・・また。
