~~昨日のつづき~~《究極の晴れ男》が続いている話をした。
思い返してみると、20年、いや30年ほど前から、
なんとなく続いている。
しかも拍車がかかっている。
雨が降らない確率がどんどんあがり、いまや、
ほとんど降らなくなっている。
あっ、今、「ほとんど」という言葉を使った。
アナタは、ほれみたことか、やっぱり雨降っているじゃないか!
私の足をつかんで挙げそうになっている。
そうなのだ、数年前、ロケ中、ザーザー降ったことがあった。
傘をさして現場に向かった。
「ねえ、傘さして撮る?それとも屋内入る?」
との問いをしている間に、雨が小雨になり、軒下で撮っている内に、
しずくが落ちて来なくなった。
さて、これを雨に日に勘定するとしたら、私の負けである。
その後、傘をさしていなかったので、勘定に入れないとしたら、
勝ちになる。
別に勝ち負けをしている訳ではないのだが、確率計算の時には、
こういうモノが大切になる。
私の述べている晴れ男の信用度の問題だ。
「ほんとに今回ありがとうございました」
スタッフが別れ際に深々とお礼をしてくれているのは、
ロケ中のお天気の話しなのである。
「晴れ男」とは聞いてはいましたが、
本当に奇跡のような晴れになりましたネ。
当然ながら、奇跡という言葉を使った彼も、最初のうちは、
《究極の晴れ男》などというバカげたことを喋る人間を、
目を細めて見ていた。
(なにをバカげたことを・・・)
日本人でなければ、両肩をすくめ、唇をへの字にしていただろう。
ところが、ロケ終わりには、感謝の言葉を述べるようになる。
感謝と言っても、私のロケぶりが良いとか、
絵写りが良いとかの仕事的な言葉は出てこない。
ただ気象の話しだけ、褒めてくれる。
不可解なモノに対する畏怖を込めて、
まるで神社で柏手を打つようなそぶりまでしてくれる。
ここまで、究極になると、
「晴れの日」目的で私に仕事を斡旋する人がいそうなものだが、
なぜかそれはない。
やはり、神がかりは信じられないのだと察する。
そういう自分でさえ、
「今回はさすがに雨だろうな」
と感じたロケが、この2、3年何度かあった。
前夜のNHKの天気予報でも、テレビのdボタンを押しても、
黒々とした雨予報で埋め尽くされている。
3日前から雨が降っており、その後3日も雨予報。
こんなのを見たら、スタッフは頭を抱えるだろう。
いつもは、能天気に、
「それでも晴れるんだ、なんせ究極なんだから」
と、私はウソぶいていたものだが、
(ついに牙城がくずれるのか・・・)
しかして、翌日私のいる場所だけ、晴れるのである。
それもキンキラキンと――
そんな状態がいったいいつから続いているのか?
最後に雨で傘をさしたロケはいつだったか?
少なくとも、今年になって、ロケは30数日野外を歩いている。
そのすべて、晴れである。
よし、ではここで約束しよう。
いつかロケの仕事で、雨が降った時は、正直に発表する。
《究極》ではなくなりましたと、こうべを垂れましょう。
ん・・・この宣言を5年ほど前にやらなかったか?
ほんで、まだこうべを垂れていないんだよな。
いったい、どうなってるんだい?おてんと様よぉ~