いま手書きで、《洗剤》と書こうとして、《洗済》と書いてしまった。《剤》を《済》と書いてしまう。
以前からのクセである。
以前とは、どのくらいかと言えば、かなり以前で、正確な言い方では、
漢字を覚えた時からと言った方がいいだろう。
つまり、小学生の頃から勘違いしている。
毎回間違えているのだから、修正すればいいのだが、
いったん脳の海馬に入った情報は、ちょっとやそっとでは、
出ていかない。
だから、私がメモ用紙にペンで書いた、《洗剤》の字には、
剤の文字の左側に黒いグジュグジュが付属している。
サンズイを消したあとだ。
剤と済を間違う確率は、50%のハズ。
なのに、グジュグジュは、80%の確率で付属している。
パソコンで書くようになって、少し安心している。
絶対に間違わないからだ。
とはいえ、マシンのやることに絶対はないかもしれない。
ある日――
せんざいと書いて変換し、《洗済》と出てきたら、これは恐い。
パソコンが私のクセを読みとって、意向に沿うように変換した・・
と考えられるからだ。
パソコンのワープロはある程度、私のクセに従おうとする傾向がある。
今のところ、その従いは、日本語のルールにのっとっているが、
パソコンが進化(?)するにつれ、どのように変化するか分からない。
だから、私は、《洗剤》の文字を、そのリトマス紙としている。
もし将来、パソコン君が、なにがしかのルール変更をしたとき、
《洗済》と変換する日がくるハズだ。
つまり、パソコン君を試していると言っていい。
よって、文章を書くとき、わざと《洗済》と書いている。
内なるトラップをしかけたのである。
今も彼は、「なんか変だゾ」といぶかりながらも、学習しているハズ。
キリスト教の聖書では、神エホバはこう述べた。
「私を試すことなかれ」
神を試してはいけない――と。
パソコンは神にほど遠い。
すこし試してもいい時期なのではないだろうか。
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