《ものほし》というのは、洗濯物干しが縮まったのだろうか?
それとも、いろんなモノを干していた場所に、
洗濯物を干したから、ものほし、となったのだろうか?
朝っぱらから、クエスチョンマークを付けて、
お伺いするほどの内容ではない。
どうでもいい事である。
ところが、この《どうでもいいこと》にコダワル人がいる。
常に何かにひっかかる。
問題にもなっていないような事を問題にする。
仮にその問題をウンウン考えて答えが出たとしても、
「だからなんなの」となる。
だけど、本人は、気になってしょうがない。
なぜ、コレが問題視されていないのかを、問題視する。
冒頭の、ものほし、とて、どこかの知識人に問い詰めて、
答えを導きだしたところで、「あ、そうですか」で終わってしまう。
しかしながら、頭に浮かんだ疑問は、ひとつの疑問として、
頭の中にファイリングしている。
たとえば、解決していないファイリングを引っ張り出すと、
《相対性理論》が出てきたりする。
どうやら、脳みその海馬では、
《ものほし》と《相対性理論》は、同列の棚にしまわれている。
随分乱雑な置き方の棚である。
その棚から引っ張り出す時間帯が、ややもすると問題となる。
夜中だ。
半分眠っている時に、相対性理論を考え出すのはいかがなものか?
もちろん、違う夜中に、ものほしが浮かぶのである。
夜中の時間帯は、ほかにすることが無いので、
延々考えられる。
2時間でも3時間でも、ものほしのそもそもを考えている。
そして、さすがに夜中の考えは、朝には忘れてしまう。
なのに、数日して、ふと甦るのである。
《ものほし》!
この人は、ほかにも色んな事柄が海馬に巣くっており、
ある日突然、甦る。
どうせなら、暇な夜中に甦ってくれれば助かるのに、
忙しい昼間にやられると、ついつい周りにいる人に迷惑をかける。
「ねぇねぇ、ものほしってサ・・・」
うるさい――と叱られる。
叱られてもメゲナイ性格らしく、甦ったばかりの疑問を、
やたら振りかざす。
うるさい――と又、叱られる。
この疑問は世の中の役に立ったことは、おそらくない。
しかたなく、自分のブログで書いたりしている。
さらには、以前書いたことを忘れて、同じモノに、
感動したりしている。
海馬の棚の整理の仕方がヘタだという指摘もある。

北海道蕎麦畑