年末に倉庫の掃除をしていたら、30年近く前の新聞がでてきた。たしか朝日新聞のコラムだったと、記憶にとどく。
JT(日本たばこ)の依頼で書いたものだ。
(21年前にタバコはやめている)
見つけた時、私自身が驚いた。
その頃に、文章を書くことはなかった。
こういう依頼でもなければ、文字すら書かなかった。
パソコンも持っていないので、当然手書きであろう。
この頃、役所などに書く、氏名と住所以外、
ペンを持つこともなかった。
唯一積極的に、文字を書いたのは、台本の修正。
文章を書かないでいると、少々かたよった性格をはぐくむ。
感じることに重きをおく生活になる。
これはこれで大切なのだが、ヒトはひとりでは生きられない。
コミュニケーションが必要とされる。
その手段のひとつが、モノを書く行為だと言えよう。
書く書かない双方にメリットがある。
書かないメリット:
感じる時間が豊富にうまれる。
自然も、スポーツも、ダイレクトに響いてくる。
書くメリット:
文章を書くことで、考えがまとまる。
人に話をするときに、順序だてて話すことができる。
この両極は、私にも顕著に表れていた。
特に書かないデメリットは大きかった。
話す職業をしているにも関わらず、
言いたい意図が伝わらない場合が頻繁におこる。
《起承転結》を無視して、話しを進めようとする。
どちらかと言えば、《転》のみを喋っていたりする。
《結》を伝え忘れて、話しが終わることすらあった。
「イシマル!おまえは黙ってろ」
仲間にイラだたれたものだ。
「何かを思いついたら、60数えてから喋れ!」
思いつきアイデアだけで勝負しようとする私に、
待ったがかけられた。
2005年9月、52才になった時、このコーナーが敷設された。
世に言うブログとも知らずに、ただ書きはじめた。
「黙ってろ」が、なくなったのである。
「待った」も、されなくなった。
当然、モノを書いたことがほとんどないので、
文章はつたない。
とても読み物とは言えないが、続けてきた。
始めた年の年末に、《お馬鹿テン》なるものを始めた。
《年末恒例》とまで銘うった。
恒例もなにも、9月に始めての12月。
私としては、「これから毎年の恒例になりますヨ」
という意味のつもりだったのだが・・・
結果、ホントに毎年の恒例となり、今に至っている。
《お馬鹿》というフレーズは、その昔、
「イシマル!バカな話しばかりしてんじゃない」
仲間の肩ががっくり落ちる話しばかりしていたからである。
「ンなバカな事がある訳ないだろ」
「おまえのどこから、そんなバカな考えが出てくるんだ!」
そして幾星霜――
馬鹿な話しを懸命に聞いてくださるアナタに感謝。
来年も、アナタに多くの幸がありますように――
海ほたる