バッコウに怯えてしまった。《バッコウ》
耳で聴けば、いかにもおどろおどろしい響きをもっている。
試しに、アナタが出せる最も低い声で、これを喋ってみよう。
漢字で書けば、《抜港》
港を抜くという表現。
それは、洋上を走る大型客船でしか使われない用語。
たとえば、鹿児島港から沖縄の港まで、
島々の港に寄りながら、就航する大型船がある。
太平洋を堂々と進むので、強い風が吹き、海が荒れると、
港の形状によっては、停泊ができない為、
素通りせざるをえない事がある。
たとえば、与論島(よろんじま)が、素通りの憂き目にあう。
船内放送に、《バッコウ》の言葉は使われない。
乗り慣れた乗客が、小声で控えめに使う。
「ひょっとすると、バッコウされるかもヨ」
「え~バッコウなのぉ~」
その言葉を知らない乗客が聞いていると、
なにやらとんでもない怖いモノに襲われるのではないかと、
怯えざるをえない。
「バ・バッコウ・・・されるんですか?」
おずおず訊いてきた隣りの客に、こたえる。
「たぶん大丈夫と思うけど、かなりやばい」
「やばいんですか?」
「うん、バッコウされるな」
「あのぅ、バッコウって何ですか?」
「知らない方がいいよ、アンタ、終点那覇港まで行くんじゃろ」
隣り客はゴクンと唾をのみこんだものの、
バッコウの真実を教えてもらえない。
知らないまま、どんな海の怪物が潜んでいるのか――
想像が膨らんでゆく。
船のルール的には、バッコウすると、
次の寄港地(本部港)で降りなければならない。
で、ホテルやタクシー代は自前でなんとかするしかない。
翌日那覇港から戻ってきた船に乗り込み、
与論島まで、行く。(料金はタダ)
ただし、海が大荒れのままだと、さらにバッコウされるかもしれない。
行ったり来たりとなる可能性はある。
「海の怪物に襲われている」という怯えは、
あながち的外れではない。
そして、困ったことに、バッコウが確定するのは、
与論島に近づくギリギリになってからのようだ。
「ようだ」と言ったのは、これまで、幸いなことに、
私の何度か乗った船はバッコウされたことが無い。
友人たちはバッコウされたり、送った車がバッコウで、
届かなかったりと、バッコウの憂いを知っている。
《バッコウ》というホラー映画を誰か作っていただけないかと、
思う今日この頃である。
桜島