《大破(たいは)している事故車》道路上に、交通事故をおこした車が止まっている。
正面のボンネットからフロントにかけて滅茶苦茶な壊れ方をしている。
大破している。
小破ではなく、中破でもなく・・・大破である。
フロントガラスも粉々、フレームも曲がり、事故前(生前)の形が、
しのべない。
よくぞここまでと言える様な壊れ方。
とんでもない事故だったと、その姿によって見せつけられる。
ところが――搭乗者は無傷だったらしく、
静々と処理がおこなわれている。
いまから40年以上前に、事故車を見つけても、おおむね、
このような壊れ方をしていなかった。
ボンネットがグニャリと曲がるぐらいで、どちらかと言えば、
小破か中破の部類。
なのに、死傷者が出た。
当時と現在とでは、車づくりの考え方が違う。
昔は、金属をかぎりなく硬くして、
箱の形を変えないようにしていたフシがある。
今は、表面を思いっきり壊れる様にして、
内部の人間を守ろうとしている。
「壊れる」というクッションで、衝撃を和らげる仕組みだと察する。
あれほどのグチャグチャだと、死者が出たに違いないと思われる車体。
ところが、わざと壊れるようにしていたとは!
ボクシングにおいて、
殴られたボクサーがロープにふっとんだ方が衝撃を逃がしている、
というテクニックに似ていなくもない。
試しにさっき、車のバンパーを手で押してみた。
ペコペコしている。
こんなで、ぶつかって大丈夫なのかと腕組みをしてしまう。
トランクを上から押しても、ボワンボワンと撓む。
いいのか、これで?
たぶん、こうでなくてはならないのだろう。
鉄の塊りが走っていた時代には、車は壊れにくかったが、
人間が壊れた。
今は、車が犠牲になってくれる仕組みになっている。
スピードレース、F1を最近観ていても、クラッシュしたマシンが、
大げさに壊れまくる姿は痛ましい。
「手足ちぎれて・・・」と表現したくなるほど、悲劇にみえる。
ところが、アレはわざとなのだと知る。
《壊れる》ではなく、《壊れまくる》ように考え方を変えた時代。
そこまでしても、まだ人は壊れやすい。
まだまだ開発を待たねばならないだろう。
遠い将来、
「えっあんな怖いモノに乗ってたの!」
未来人に驚かれない為にも。
私の造る前菜