「そうか、分かった!」去年、サッカーワールドカップで大騒ぎをして、
今年、野球のWBCでシビれる感覚を味わい、
その二つの違いが、いま分かったと、声をあげた。
野球とサッカー、
何が違うのか?
これを問う前に説明の為に、コレを問うておこう。
《登山》と《海のスポーツ》
何が違うのか?
私は、大きく分けて、二つのスポーツをやっている。
《登山》
《ウインドサーフィン》
つまり、山と海だ。
この二つの違いをこういう風に説明していた。
《死生観の違い》
山も海も死がつきまとう。
死ぬ瞬間というモノが、考えのどこかにある。
例えば、山では、吹雪の中に閉じ込められ、脱出できずに、
雪の中で死を迎える。
その時、さまざまな想いが湧きたち、ささやかな手紙を残したりする。
母親に当てたり、恋人だったり、
そこには、詩があり、ロマンが浮かぶ。
さて、海はどうだろう?
海の死は、突然やってくる。
《溺れる》という単語がまっさきに浮かぶ。
山の時に述べた手紙を書くヒマがない。
母親のことなど思い浮かべる時間などない。
よもや恋人に、たくす言葉どころでない。
言ってみれば、《瞬殺》。
むごい。
すると、リアリストになる。
いま語った、山と海の人たちの想いを総合すると、
・山ビトは、ロマンチストになり、
・海ビトは、リアリストになる。
これを、冒頭の野球とサッカーに当てはめてみよう。
・野球は、勝ちも負けも、ジワジワ引き延ばすことができる。
・サッカーは、突然のサドンデスとの戦い。
野球では、ジワジワ真綿のようにやってくる勝ち負けを、
(ある意味)味わうことができる。
ジワジワしている間に、
夢のような勝利への思いを抱くことが許される。
「最後の最後に、奇跡の大逆転ホームラン!」
対して、サッカーは、今行われている時間が、生きるか死ぬかの、
まさに海で溺れそうな自分たちを噛みしめねばならない。
当然、リアリストになる。
リアリストとは、現実をしっかり見つめるヒト――
ずっと目が離せないヒトとなる。
ロマンを抱いているヒマなどない。
これが死生観の違い。
死までの時間が、長いか短いかで、こうも考え方が変わる。
では、双方の酒の飲み方は、どうだろうか?
両方の飲み会に積極的に参加する私の個人的な意見。
《山のひとたちの飲み会》
誰かが喋っていたら、みんな聞いている。
その人が喋り終わったところで、次に誰かが喋りだす。
また、みんな聞く。
《海のひとたちの飲み会》
全員が一斉に喋っている。
誰の話も聞きゃしない。
好き勝手に喋りほうだい。
でもそれが、なんとも楽しい!
黄色のマンサクの花 九重山にて