モンベルの月刊誌《岳人》に墨絵とエッセイの連載を始めて、3年ほどになる。
5月号が、《その28》であるから28枚の墨絵を描いた・・・
とはならない。
そのほかに、春号や夏号などには、非常勤勤務もしているので、
もう数枚の墨絵とエッセイも載っている。
最近は、絵の大きさが大きくなった。
そもそもの始まりが、変だった。
「イシマルさん、これ使ってみてください」
渡されたモノが、《野筆》のふで、というグッズ。
中に薄べったい硯と、四角い墨、水さしと筆が1本。
コンパクトな柔らかい箱状のものに入れられている。
コシコシと軽く墨をこする。
この墨の往復の回数で、色の濃淡がきまる。
5回もこすると、真っ黒になる。
さほど効率がよい。
野筆を見た瞬間、頭の上に電灯がともり、
すぐさまホームセンターに走った。
スケッチブックを買った。
大きさは、
《24・5×17・5センチ》
大学ノートと同じサイズ。
描き始めると、ツボにはまった。
毎日、机に向かっていた。
その頃、同時にピアノも始めていた。
と、同時に本の出版の為に、
文章を書く為にパソコンにも向かっていた。
・絵を描く
・ピアノを弾く
・パソコンをうつ
この3つに向かう形は、後ろ姿はよく似ている。
やや下を向いて、両手で何かしている。
ただただ黙って無心にコツコツやっている。
スケッチブックが、早やくも3冊を超えた時だった。
「一度見せてください」
モンベルの方に言われ、見てもらいに社を訪ねる。
すると、スケッチブックをペラペラめくっていた思いきや、
わたしに顔を向けるなり、
「ところで、文は?」
ハナから勘違いしていたのである。
野筆とは、芭蕉や山頭火がそうであるように、
俳句や短歌を書くために、開発されたモノだったのだ。
絵を描くと勘違いしてしまったのである。
穴に入ってしまおうと、身を縮めていると、
「これはこれで・・・絵を描いてエッセイを添えて下さい」
ありがたいお言葉をいただき、今に至っている。
ある日、大きな絵を描きたくなった。
《84×60センチ》
一気に、でかい墨絵。
その分、時間がかかる。
一週間以上かかった。
そんな絵を、2枚描いたところで、さすがに少しだけ小さくしてみた。
《38×27センチ》
それでも充分大きい。
これらの絵を、1本の絵筆で描いている。
かなり細かい作業ができる。
細い線、ミリのなん分の一の点。
3時間も没頭していると、フラフラになる。
すると、すぐ後ろに置いてあるピアノの人となる。
しばし、ピンコロリンと異種の没頭。
ほぐれた所で、すぐ近くにあるパソコンテーブルに移動する。
カチャカチャカチャ
半年に一冊出している、啓文舎からの出版の本、
「〇〇は〇〇してみなけりゃ分からない」
略して、「みなわかシリーズ」を書く。
描くと書くと弾く
ローテーションができあがる。
そして、外出の時間に、「喋る」仕事もしてくる。
「演じる」もしてくる。
「旅する」仕事時には、持ち歩き便利な野筆を持参し、
現地にある〇〇ピアノを弾き、
持ち歩きパソコンで、シリーズを書いている。
「え~スポーツはしないんですか?」
します。
いっぱいします。
ここで発表するには、いろいろなので、おいおい――