地図を見るのが好きだ。 好きだと現在形で言ったが、過去形でも言える。
高校生の頃に学校の教材で買わされた日本地図にはまる。
毎日、地図さえ開いていれば、楽しかった。
緑色は平野を表し、茶色は山岳地帯。
焦げ茶は、特に高い一帯。
全体像を空から、いや地球の外から眺めているようで、
いつも空中に浮いていた。
《鳥観図》という言葉をおぼえ、《地球外生命体》も覚えた。
UFOのことを、《空飛ぶ円盤》と呼んでいた時代の話だ。
ただし、その地図の表紙に書いてあった文字が気に入らなかった。
《新日本地図》
《新》とはなに?
新があるからには、旧がある訳で、
古いモノは、常に新しいものにとって変えられる。
という事は、今見ている地図は、いずれ古くなるハズなのに、
《新》の文字を使っていいのだろうか?
てな事を考えている、15才のクセに、ませたガキだった。
この考えの原点は、新聞で読んだ、
「新幹線の開通」というニュース。
新聞は常に新しいモノを報道するので、新を使っても構わないが、
新幹線は、いずれ古くなる。
将来、名前を使えるのだろうか?
60年前に、この考えが頭に浮かんでしまった。
まだ新幹線を見たことも、乗ったこともないのに、
不埒な考えが、渦巻いていた。
世の中が、「新しい」ことに飢えていた。
新を使いたがった。
「新規開発」
「新田」
「新興住宅」
「〇〇新町」も次々に広がっていった。
そのたびに、(将来どうするのだろう?)
杞憂とも言える想いにひとり沈んでいた。
映画界も、
「新ゴジラ」
「新社長漫遊記」
夕陽のガンマンに至っては、
「続夕陽のガンマン」の次に「新夕陽のガンマン」が公開され、
不安をあおるかのように、
「続新夕陽のガンマン」が生まれようとしていた。
ウルトラマンだけは、そこはひねって、
「帰ってきたウルトラマン」と、カーブでかわした。
思い起こしてみれば、《新選組》とは、
勇気をふるった命名であったのだろう。
世の中が劇的に変わろうとしていた時代に、
《新しく選ばれた者たち》と言いつのる。
どちらかと言えば、ふるい幕府を存続させる為の組織なのだが、
あえて、《新》と名乗った。
英語で言えば、《ニュー》
イギリスの《ヨーク》の街から移住したから、《ニューヨーク》
《カッスル》から来たので、《ニューカッスル》
《ハンプシャー》という町があるのか知らないが、
《ニューハンプシャー》
《オーリンズ》も知らないが、《ニューオーリンズ》
港に行けば、〇〇新港だらけである。
それどころか、単に「新港」とだけの港もある。
山にも新山がある。
《昭和新山》
名前こそ付けられていないが、アチコチの火山に、
新山が生まれている。
最近は、それに《新》の文字は付けられていない。
理由は、おそらく、あまりにも次々生まれるので、
将来を憂いたのだろう。
新の文字を付けまいと考えた方は、おそらく、
地図大好き人間だと信じてやまない。イギリスには、ジーランドという町がああるのだろうか?