「〇〇、読んでみてください」
〇〇とは、小説の名前である。
本好きにとっては、ありがたいお誘いなので、
さっそく買い求めようと心にとめる。
その時だ・・・
「ラストにですね・・・」
薦めてくれた本人が、あろうことか最後の部分を喋ろうとしている。
結末を喋ろうとしている。
「待ってまってまって!」
両手のヒラを彼に向けて、おもいっきりブレーキをかける。
「喋べらないで!」
ところが、両手の隙間から、
「そのときにですね!」
ブレーキを気にせずに、喋りがおそいかかる。
人は、なぜ小説の内容を喋りたいのだろうか?
感動した内容を共有したいのは、分かる。
分かるが、同時に共有した訳ではない。
ズレが生じている。
先の人と後の人では、ちがう人生を歩んでいる。
例えば、映画であれば、同時に観ることができる。
「ネェネェ、〇〇はサ、なぜあんなこと言ったの、最後に?」
疑問を発して、二人で話がはずむ。
しかし、小説はそうはいかない。
仮に、二冊買って、二人で同時に読み始めたとしても、
読み終わるのは、ズレが生じる。
先に読み終わった方が、
「ネェネェ、〇〇はサ、なぜあんなこと言ったの、最後に」
なんて言った日には、二人の関係は決裂するだろう。
小説を奨めるヒトは、忍耐が必要である。
たとえ薦めたあと、私が買ったとしても、
すぐに読み終わるとは限らない。
待てど暮らせど読み終わるとは限らない。
だから、好きな小説の話をするのは、危険である。
したいのは分かる。
理解できる。
理想は、その本を読んだと言うヒトと偶然出会い、
喋る時間がたっぷりあり、二人でおなじ方向に進めそうな場合。
だから、これだけは、やめましょう。
〇〇の小説を奨めたあと、日が変わるたびに、
「ネェ読みました?ネェネェ読みました?ネェネェ~」