《八ヶ岳連峰編笠山の鞍部から富士山》
《塩分》と《脂分》を考えてみよう。
ディナーを思いうかべる。
分かりやすく、肉料理にしよう。
はっきり言おう。
ステーキだ。
脂のサシが入った牛肉を、フライパンで焼く。
焼く前に、ヒマラヤの塩なるものを、ガリガリ機で振りかける。
表面だけコンガリ焼き、しばらく蒸らす。
すると、中身は柔らかいピンク色になっている。
ナイフとフォークで切りだすと、見事な色合いのステーキ。
食べる前から、旨さがにじみ出ている。
この旨さは、塩と脂だ。
では、塩を減らしたらどうだろう?
肉を脂分の少ない肉にしたらどうだろう?
さきほどの打ち震える感激があるだろうか?
塩の旨味に頼る生活を脱却しようとして、30年以上。
減塩に努力し、塩を忘れる気持ちを育て、
塩はいけないモノと戒めてきた。
それでも、すべてが自宅で食事ができる筈もなく、
塩だらけ、塩まみれ、塩すべて、の外食産業と戦ってきた。
しかしながら、戦っていたのは、10年前まで。
いまでは、その外食産業が、こぞって減塩産業となっている。
「塩食わせない」産業である。
日本という海に囲まれた島国で、塩が無い場所は少ない。
どこかと言えば、山の上。
そこに足しげく通うと、ザックの中に、
《塩=ナトリウム》を持っている。
普段の「塩欲しい」欲求の恨みの如く、塩アメをなめる。
なにかと、塩キャンデーを口に含む。
堂々と、塩なんたらを、ガリガリ砕く。
山は、塩を免罪符として与えている。
違う言い方をすれば、
「塩を食べたければ、山に行け」となる。
おそらく、これは正しい。
しかし、つけあがってはならない。
海の暮らしを知っている我らは、ほどほどにしなければ、
しっぺ返しをくらう。
なんたって、刺身醤油好きなんだから・・・ ご苦労をなさった木