穂高のバリエーションルートを歩き出した。 森林限界を超えた稜線なので、高い樹木はない。 岩と石ころと、ハイマツがあるだけ。 いや、ハイマツすら見かけなくなった。 まだ夜は明けていない。 東の空にオリオン座、その横に明けの明星が輝いている。 お日様が登る前に、独標(どっぴょう)まで行けるだろう。 着実に、足を前に出す。 今回の登山靴は軽いモノを選んだ。 なんせ9時間の登ったり下ったり。 靴の重さは、ザックの重さより重要。 コハゼの少ない、重量500グラムほどの使い込んだ岩用。 《岩用》とは、底がやや柔らかく、滑りにくい。 斜めになった岩にも吸い付くような仕様である。 デメリットは、足首が包まれていないので、 下りなどで捻挫しないように気を付けなければならない。 (はい、気を付けます) 自分に言い聞かせる。 ココから先は、空気が薄くなるので、 しっかり呼吸しなければならない。 (はい、吸います) 言い聞かせる。 30分ほどで、丸山を過ぎ、スタートから1時間半で、 独標(どっぴょう)に着いた。 どっぴょうとは、独立標高点のことなのだが、 意味は、うまく説明できない。 山のところどころにある。 しかし、ここの独標が日本では最も有名である。 そういう意味では、《ジャンダルム》という名前も、 日本の他の山にもある。 しかし、ここのジャンダルムがあまりにも有名なので、 ジャンダルム=穂高連峰との代名詞となっている。 この独標には、悲しい歴史がある。 1967年8月1日。 松本深志高校2年生の登山チームが、この独標で落雷を受け、 46人中、11人の生徒が亡くなった。 私とほぼ同年代の生徒たちであった。 その碑のプレートが、ひっそりと置かれてある。 カミナリは、明日は我が身である。 そっと手を合わせる。 ここで、夜が明けた。 ヘッドランプをザックにしまう。 さあ、ここからが本番だ。 ガイドの棚橋さんにロープの端を渡され、 エイトノット(8の字結び)で、自分の腰のハーネスに結ぶ。 《アンザイレン》 いわゆる、ザイルパートナー。 お互いの命を助け合う二人となる。 ただし、国際山岳ガイドと私では、レベルが、 大人と小学生ほども違う。 助け合うというより、一方的に助けられる関係と言うのが正しい。 とはいえ、片方が落下すれば、道連れになるので、 細心の注意が必要。 大人と子供でも助け合うのは、同様と考える。 いよいよ登ったり下ったりが始まった。 なんせ、西穂高岳までだけでも、10のピークがある。 なんと数字がそれぞれのピークに白ペンキで書いてある。 10から減ってゆく。 ひとつひとつ少なくなる数字を感じて嬉しい人もいる。 だが私の場合、いちいち知らされるのは、窮屈に感じる。 随分頑張ったのに、まだ3つしか超えていないと知らされる。 しかしこれは、迷ったり、疲れたりした時に、 引き返す判断のよりどころにするのだろう。 ルート途中の西穂高岳までの往復計画の場合、 「今、6つ目だ、帰りも同じ登ったり下ったり、 ダメなら、ここで断念しよう」 自分の体力の目安を知らせてくれる数字。 今回の水は、ペットボトルではなく、胸の所に、 柔らかい水用パックを差して、手を使わずに飲めるシステム。 口で、ノブを引っ張り、チュウと吸えば水が出てくる。 この方式の方が、水をこまめに飲めるだけでなく、 水の消費量が少なくてすむ。 水も、経口補水液にした。 単なる水より体への吸収が良い。 とにかくこのルートは、いちいちザックを下ろしているヒマがない。 常に動いていないと、時間内にたどり着かない。 水飲み休憩を減らすという、慌ただしさ。 数字が分からなくなった頃、西穂高岳のピークに着いた。 2909m 私はなぜか、2900mを越えると、高山病の兆しが出る。 体内に何かのセンサーがあるらしく、頭がチクリと痛くなる。 「はは~ん2900mを越えたな」 標高を知らなくても、頭の痛みが教えてくれる。 便利といえば便利だが、要らない頭痛でもある。 西穂の山頂でやっとザックをおろし、携行食を出す。 ひとくちヨーカン。 袋が簡単に千切れ、片手ですぐに食べられる。 甘味とカロリーがあり、エネルギーに変えてくれる。 (と信じている) 普段カロリーを減らす努力をしているダイエット人間は、 カロリーの多い物を積極的に食べて良い山登りは、嬉しい。 許されることならば、西穂山頂で、 カツ丼と豚骨ラーメンを食べたい! ショートケーキに生クリームパフェもつけたい。 そんな不埒なことを考えていたら、見上げた雲が、 灰色になってきた。 先ほどまでの白いパフェ状態ではなく、暗雲がたれこめる。 (雨がくるかな) さて、このルートは、ここからが本番となる。 ここまでは、バリエーションルートではない。 標識が、立っている。 「ココから先は、大変危険なので、岸壁登攀熟練者のみ」 という意味のことが書かれてある。 標識の先は、いきなり崖をまっさかさまに降りる。
by ishimaru_ken
| 2023-09-23 05:46
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