~~~つづき~~~ ポツリ、小雨が降り出した。 風も3~6mの西風が吹きだした。 穂高連峰は、その麓の上高地(標高1500m)に立っていると、 「晴れ」と感じることが多い。 ところが標高2600mより上は、 雲の中に包まれていることが多い。 したがって、そこは、雨粒が漂っている場所であり、 服は濡れる。 すぐにレインウエアの上着を取り出し、着る。 そういえば、この山行では、ヘルメットをかぶっている。 これは必須。 落石もあるし、滑落して頭を打った時にも、すこし役に立つ。 服装は、下半身が、半ズボンにスパッツ。 軽くするのと、足を大きくあげるので、 ズボンのこすれによる一切の摩擦をなくす為。 (今年の暑さに対する対策でもある) 西穂高岳までより、ここから上下動が激しくなる。 かなり登り、思いっきり下る。 通常の登山でも、せっかく登ったのに下るという難儀を味わうが、 そのレベルではない。 ハァハァがとまらない。 動いている間中、ずっとハァハァしている。 3000mの高所でのハァハァなので、酸素が入って来ない。 ここで、秘策を用意している。 コロナの時に有名になった、 《血液内酸素測定器》 指先に装着型 これを利用し、3000mでの実験を何度もしてきた。 測定値の、安全と言われる数値90台から、 危険の80台に落ちた場合、どのくらいの時間休んだら、 元に戻るのか? 実験を繰り返した結果、 一分間の休憩と深呼吸で、元に戻ることが分かった。 それ以上の休みは、身体を冷やすので、意味がなかった。 このマシンは持って行かなかったのだが、 何度も高地の実験しているので、自分の体調から、 およその数値が分かるようになっている。 そこで、ハァハァが激しくなったところで、棚橋ガイドに申し出る。 「1分間、休ませてください」 もちろん立休みである。 穂高中の空気を吸い込むような深呼吸をする。 人間ドックで、毎回、肺活量が貧弱という診断を出される私が、 穂高山中に、呼気を吐き出す。 すると、1分で、スッと身体が動くようになる。 やった! 実験の研究が役に立っている。 再び登りだす。 岩が湿ってきたので、さらに気を引き締める。 ある鞍部(凹んでいる場所)に降りたところで、 前方の岩盤がこちら側に急傾斜している箇所が現れた。 (はは~ん、ココが《逆層スラブ》だな) 登れるが下ると怖いと言われている板状の岩盤の坂道である。 手がかりが少なく、靴の摩擦で登らなければならない。 とくに雨で濡れていると、いかにも滑りそうで気持ち悪い。 滑り出したら、滑り台となるだろう。 (ん、雨じゃないか) しかしながら、履いてきた登山靴はその役目を果たしてくれた。 ガッチリ岩に吸い付く。 靴底の全面を当てるように置けば、滑ることはない。 このあたりの逆層になった岩場は緑色をしていて、 実に美しい。 まるでデザイナーが色と形を配したかのような風景である。 もうすでにかなりの登攀を繰り返している。 この崖で、全体のまだ半分も来ていない。 9時間で登破できるのだろうか? エネルギーはもつだろうか? このルートには山小屋も逃げ場もない。 どうしようもなくなったら、ビバークといって、 ツェルト(簡易テント)をかぶって寒さをしのぎ、 朝までジッとしているしかない。 いずれにしても、ここまで来たら、引き返すのも大変。 バリエーションルートと言われるゆえんが分かってきた。 岩登りもさることながら、相当の体力を求められる。 20キロ背負ってのスクワット300回をしてたくらいで、 安心してはいけない。 見あげると、ガスの影響で、峰々が遠くにみえる。 錯覚だろうが、岩峰の聳え方が激しくなり、 私に脅しをかけてきているようにも感じる。 霧の中に浮かび上がり方が、 映画のCGめいた幽玄さに満ちている。 「崖は見えていない方が怖くない」という方もおられる。 しかし私の場合は、そもそも怖くはないので、 わざと怯えさせるような演出はいらない。 高さ50mの崖が、100mに見える。 ただでさえ足は疲れ、息があがっているのだから、 そんな無駄な演出はやめてほしい。 さらには、うっすらと見える岩峰のはるか先に、 ガスが切れると、さらなる岩峰を浮かび上がらせる。 やっとたどり着いたと思ったら、まだまだ先があるという艱難辛苦。 「アレが、ロバの耳ですか?」 本日の最大の難関となる、ロバの耳という、 可愛らしい名前を付けられた岩峰なのかと訊いてみた。 私の質問に、どう答えていいのか迷っている棚橋氏。 次の次の次の次・・・とも言えず、ただ黙って先を促す。 岩の登り下りはとても楽しい。 楽しいから疲れを忘れられると思っていたら、 息の上がり方が半端でなかった。 やはり3000mの高みでは、酸素が足りない。 「1分休憩させてください、ハァハァハァ」 少し頑張ったら、 「いっぷんお願いします」 しばらくしたら・・・ 「いっぷん」 単語だけになってきた。 おそらく血液内酸素測定器で測れば、 70台の数値に違いない。 そのうち、「いっ」だけになる気がしてきた。
by ishimaru_ken
| 2023-09-25 05:58
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