《新蕎麦》の季節が始まる。 寒い地域で、真っ白な蕎麦の花が、畑を浮かせている。
そこに実がつくと、茶色の粉をまぶしたようになる。
その後、刈り入れとなり、
蕎麦屋の店先に、「新そば入荷しました」のノボリが立つ。
なんでも、《新》とつけば、嬉しい。
新蕎麦に始まり、新米、とくれば、古いモノをあきらめ、
新しいモノを食べようとする。
しかし・・・
新蕎麦が旨いのかと問われれば、
諸手をあげて賛成はできない。
一応拍手はするが、「待てよ?」という気持ちも湧く。
ワインを例にとろう。
《ヌーボーワイン》
とは、その年にできたばかりのワインであり、喜ばれる。
皆が競って買い求め、飲む。
ところが、出来たてより、しばし寝かした方が好きな方も多い。
私も、ソッチ派だ。
若い=旨い、とはならないのが酒の不思議と言えよう。
これを米に当てはめると、
新米より古米が旨いとなるのだが、コメの場合、
やはり新米は旨い。
水分が多すぎると嘆くご仁もおられるが、
米だけをパクついた時の旨味は新米に限る。
ここで、話を蕎麦に戻そう。
新蕎麦とねかした蕎麦。
ワインのデンでいけば、蕎麦はねかした方がいいとなる。
少々ねかした蕎麦の方が、うま味が増すというヒトがいる。
採れたて新鮮は喜ばしいが、深みと旨味は、
ねかす方が勝ると主張される。
私の場合の主張は、
「新蕎麦は香り」で、「ねかした蕎麦は旨味」だと。
「新蕎麦入りました」のノボリがあるのなら、
「蕎麦熟成しました」のノボリがあっても良い。
むしろ、蕎麦屋の看板に、
「手打ち熟成蕎麦」
があるべきだ。
熟成の仕方に凝っている店である。
お品書きの説明に、
「本格的長期熟成の手打ち蕎麦、味の極みをご堪能ください」
なぁ~んて書いてあれば、
新蕎麦には目もくれなくなるでしょう。
となれば、蕎麦戦争も勃発し、ノボリ競争となる。
《10年熟成だったん蕎麦》
まるで紹興酒の年数自慢のようになる。
《20年のさまよえる古蕎麦》
年数がどんどん長くなる。
《神代蕎麦復活の極み》
まるで数千年の深さを表わしたりする。
こんな戦いならば、あっても構いません。
夢あふれていいではないか。
蕎麦の味は、それを表わす言葉の使い方がすべてとなる。
あの微妙な味を、みっつよっつの言葉で表して欲しくない。
妄想も含めたありとあらゆる思惑を並べてみよう。
たとえば――
《立ち食いそば》を《立ち喰いそば》と書いただけで、
雰囲気が変わる。
ノレンをくぐりたくなる。
しまった!自分で書いただけで、
立ち喰いそばを喰いたくなった。
すぐに言ってこよう!