風のない早朝、海に出る。ウインドサーフィンではない。
釣り。
2馬力という免許の要らない船外機がある。
それを小さなボートに装着して、ビーチから波を越えてゆく。
風のない日とは、波が無い日とも言える。
フラットな海面、まさに、釣り日和である。
時に、サップ(スタンド・アップ・ボード)で海に出て、
釣りをしていた。
エンジン音無しだと、魚を不安にさせないので、良く釣れた。
対し、この2馬力のエンジンは当然、
サップより広範囲に移動できる。
「ここだ」と定めた場所でエンジンを止めれば、
魚たちに存在を知らさずに、釣り糸を垂れることができる。
「ここだ」とは、以前釣れた実績がある場所。
最近は、魚探だの、自分の船の位置情報などが知らされる機器が、
こんな小さな船でも付けられる。
魚探(ぎょたん、魚群探知機)に至っては、
(たぶん)そんなこととは知らない魚たちが、
魚生を謳歌している時に、自分たちの行動がつまびやらかに、
公表される道具である。
監視カメラの非ではない。
おのが大きさや動きまで知らされる。
活性があがっていると、色まで変わる。
つまり、われらの街の監視カメラで、妙に走り回っている人は、
活性があがっているとして表示される。
魚にとって、たまったもんではない!
人間に例えれば、宇宙から常に監視されているようなものだ。
(ふむ、監視衛星というモノが現実にあるナ)
その監視衛星に似た魚探をたよりに、海上を走り回る。
「おっ、ここだ!活性があがってるらしいゾ」
すぐにエンジンを止め、釣り糸を垂れる。
っと言っても、針に餌はついていない。
ジギングと言って、テグスの先に、疑似餌の金属が付いていて、
それを上げ下げする。
あげる速さや、動きを変化させ、魚を誘惑する。
この行為は、アレに似ている。
猫じゃらしで、猫と遊ぶ動きである。
じっとしていれば、全く意味をなさない物体が、
素早く動いただけで、猫には魅惑的に映る。
追いかけようとする。
ガブリと咥えようとする。
魚の場合、その疑似餌に鋭い針が数本ついており、
彼らにとって、悲しい結果が待っている。
つまり、疑似餌によって釣りあげられた魚にとって、
《最後の晩餐》が金属なのである。
せめて、エビとか、イカとか、食べ物であれば、
最後の最後に、口に大好きな味わいを感じて、
昇天できようというものだが、
悲しいかな・・・冷たい鉄だった。
ただし、猫が猫じゃらしを追いかけたように、
最後に最大の面白い遊びをしたことだけは、確かだ。
興奮したことだけは、残った。
動物が生きている最大の楽しみ、
《チェィス(おいかけ)》をしたのである。
っと、人間様は、負い目を割り切ってジギングを続けている。
はい、こんなん釣れましたぁ~
1メートルを超える太刀魚(たちうお)でございます。
幅は、指4本という言い方もします。
釣れたてを塩焼きにすると、極上でございます。