「それでは、全員で1分間の黙とうを行います、もくとう」
先生の声がひびき、しばらく沈黙がおとずれる。
1分間黙って目を閉じるという、
人にとって異空間であるが、正しい時間を過ごすことができる。
ん・・・?
(いま、全員と言ったよな)
その昔、学生服を着たけんじろう君が、あらぬ疑問をおぼえた。
(1分は、誰が測るのだろうか?)
うっすらと右目を開ける。
薄目をする時は、片目をあけ、開けた方と反対側を見る。
仮に右目を開ければ、左方向を見ると、限りなく薄めになる。
っというテクニックを中学生で身につけた困った学生だ。
校庭の朝礼台の上に立つ先生は、マイクの前で、
しっかり目を閉じている。
その下に並ぶ先生たちも目を閉じている。
となると、誰が1分を測るのだろう?
もしかすると、1分は、カンで決まるのか?
「1分間の黙とう」とは、
「1分くらいの黙とう」ということか。
たしかに、この1分は長く感じる。
長く感じさせる為に、黙とうさせている。
人に、時間の大切さを、同時に教えているのかもしれない。
っと、その時、朝礼台の上の先生の右手が動き、
左手の背広のすそをめくった。
顔がやや下を向き、チラッと腕時計を見た。
(見てるじゃないか)
黙とうを破っているじゃないか!
口を尖らす。
この黙とうの目的の中に、
「薄目をあけたりしてはならない」
という示唆も含まれている事を知る。
インチキはいけないという示唆も知る。
そして何より、
先生が時計をチラ見したことを、
みんなに喋ったりしてはいけない、
という、《黙っている行為》こそが、
黙とうの目的なのだと、知る。
後日になっても、誰かに喋ってはならないというルールを知る。
何10年かたって、ネットとかで、文字にしてもいけないという、
人としての大切さを知る。
薄目と、ご注進は、人としての《みっともない行為》だと、
知る。