《
九重山 法華院温泉山荘》
音楽が人生において、
様々な楽しみや暖かさを与えてくれるモノである事は、
誰もが知る。
その中で、楽器は重要な要素を与えてくれる。
子供の頃に楽器を弾き始めるのは、大切な宝物だ。
弾くという自分の身体に感じる感性は、
なによりも豊かな響きとなるだろう。
ふと・・・
私の父親は、楽器を弾けた。
大学時代、明大マンドリンクラブで、古賀政男氏の下で、
相当の鍛錬をしたらしい。
マンドリン、バイオリン、ギター、
弦楽器ならなんでもござれの手練れとなったらしい。
NHKのラジオで演奏もしたと、自慢していた。
その後、戦争が勃発し、
10年以上満州~シベリアに抑留となり、
生き伸びて帰ってきた時も、楽器を弾きたかった。
やがて結婚し、子供が生まれると、
子供に楽器を弾かせようとした。
長男が、3歳になると、バイオリン教室に向かわせた。
長男は、遺伝がうまく伝わらなかったのか、
指先が不器用だった。
繊細さを要求されるバイオリンに向いていなかった。
父は、ガッカリした。
せっかく戦争を生き抜いたのに、
楽器の子供への伝達ができなかった。
やむなく、自分だけで、演奏を始める。
誕生会や、クリスマスだの、ことあるごとに、
バイオリンやギターをひとりで演奏するようになる。
《チゴイネルワイゼン》なるサンサーンス作曲の、
バイオリンの中でも、究極の難しい曲を弾く。
観客は家族だけ。
今考えても、かなりの腕前だ。
なぜか・・・次男坊の事を忘れている。
「長男がダメだったら次男もダメ」と父親は烙印を押した。
長男の楽器に対する不器用さにめげて、
もう一匹生んだハズの子供の、
《ひょっとしたら才能》に気づけなかった。
父親は、子供たちをコピーと考えているフシがある。
特に、次男坊はコピーだと思ったようだ。
《コピー》とは、《押さえ札》とも言える。
そして、長男の次なのだから、能力は、
《だんだん薄まる》
とも考えたのかもしれない。
次男坊謙二郎くんは、やたら指先が器用だった。
練習しなくても、トランプ手品ができた。
コイン手品も易々とできた。
自分の目の前で消えたコインに、自分がビックリした。
それを自慢げに、家族の前で披露したら、父親に叱られた。
「人を騙すんじゃない!」
惜しい!
あれだけのバイオリンを弾いていた人である。
戦争のセイにしたくない。
「学ばせる」というお金も時間もかかるモノを、
次世代に繋げるのは、むつかしい。
我が家には、ラジオもステレオも無かった。
音楽を聴きたければ、学校の視聴覚教室で、
クラシックを、レコードで聴くしかなかった。
あとは、大みそかのNHKの紅白歌合戦と、
興に乗った時の、父親のバイオリンかギター演奏だった。
それもレパートリーは10曲ほどしかなかった。
もし、あの時に、コピーに顔をむけてみる気になったなら・・・
もし、手品がひとを騙すのではないと気づいたなら・・・
もし―― 北海道 滝の上町のホテルで