「栓抜きがな~い!」
大騒ぎしている。
最近は、ビン系のモノが少なく、あったとしても、
ビンそのものも、フタを栓抜きで開けなくても済むようになっている。
とはいえ、たまに栓付きの瓶はある。
となると、栓抜きは要る。
その栓抜きが見つからない時に、冒頭の悲鳴が出る。
「栓抜きがな~い!」
先日、ホテルの部屋で、その状態がおきた。
しかしながら、50年以上前から、
《栓抜き無し》を何とかしてきた私にとって、
それは簡単にクリアできた。
その方法は、ここで、述べる訳にはいかないのだが、
(違法ではございません)
この状態(栓抜きが無~い)が、自宅でも起きる。
自宅に一個しかない栓抜きを持ち出し、
どこかに忘れてくる場合がある。
さあ、どうする?
発想的には、いろんなやり方を思いつく。
・金属のノブを利用する。
・瓶と瓶を裏返して持ち、フタのギザギザを合わせ、
反対側に引っ張る。
書けない事が多すぎるので、この辺にするが、
最も簡単な方法は、ペンチだ。
・ペンチで、瓶のフタを掴んで捻じ曲げて引っ張る。
あまりにも原始的で、ヒネリも、特殊性もない。
ある意味、誰でもできる。
と言うより、最初に思いつく方法である。
こんなもんで、瓶のフタは開く。
では何のために、《栓抜き》はあるのだろうか?
発明されたのだろうか?
答えは簡単。
チカラが無くとも、すぐに開けられる。
短時間で開けられる。
旅館の着物を来た接客の方の帯に、ぶら下げやすい。
なにより、開けた瞬間、「シュポッ」と威勢のいい音がする。
これだけの理由で進化した、《栓抜き》という名前の道具が、
日本中に流布したのでした。
その栓抜きは、栓を抜くだけでは生きて行けず、
・ワインオープナーの中に組み込まれたり、
・十徳ナイフの一部に内蔵されたり、
・缶切りなどと共存したりしている。
いわゆる企業の合併である。
単独で生きていこうとし、原型を留めている孤高の輩もいるが、
いつもどこかに居なくなり、捜索の対象となっている。
いまや、生ビール全盛となり、
旅館の接客係の帯の下からも見つからず、
《孤高の人》は、新田次郎の小説ばりに、行方不明だ。