《
九重連山 大船山(たいせんざん)山頂の昼寝》
オートバイを乗り出したのは、25才の時。
50CCのオフロードタイプだった。
車の免許をとったのは、21才の時なので、
免許取得の通常のとりかたと順番が逆。
というより、普通免許取得した時点で、
400CCまでのオートバイを乗ってよい免許を持つことになる。
(ん、違ったかな)
年中、芝居の稽古か、アルバイトばかりをしている頃。
都内の移動に、足が必要だった。
電車では、荷物などの移動がむつかしく、
大きさとしては最低の、50CCを中古で買った。
たしか5千円だった。
四畳半のアパートの家賃が、1万円しない頃なので、
まあまあのお手頃出費だった。
オフロードタイプとは、原チャリと呼ばれる50CCの中でも、
タイヤが大きく、デコボコしていて、
普通の道路を走るには向いていない。
エンジンをふかすと、ウイリーと言って、
後輪だけで、走り出すような動きをする。
実際、その状態になり、すっころんだものだった。
その転びを含め、これまで5回転んでいる。
走行中に転ぶと、ダメージが大きい。
オートバイの宿命と言えば、それまでだが、リスクは、
自動車の比ではない。
特に自動車の運転手は、オートバイを気にかけていない。
オートバイが自動車を追い越してゆくと・・・
「あっ、いたのネ、あっそ」
てなもんである。
例えるなら、サバンナで水牛が周りにいる小動物を、
気にしていないのと同じだ。
だから、仮に水牛が彼らの足を踏もうが、ぶつかろうが、
「あっそ」
水牛にケガはない。
オートバイは常に、怯えて道路を走っている。
・自動車の急ブレーキ、
・ウインカー出さずの左折、
・助手席ドアの突然のオープン!
・トラックから落ちてくるガレキ。
・トンネル内の轟音
都会のサバイバルを生き抜いている。
オートバイ=騒音=暴走族
の図式がある。
それもあるにはあるが、ほとんどのオートバイ乗りは、
ただ風を感じて走るのが好きなだけだ。
過去の5回の転倒をからくも生き延びてきた。
ケガもしなかった。
運と身体の丈夫さだけで、通過してきたのだが、
60才を期に、二輪をやめた。
どう考えても、6回目はマズイ気がしたのである。
なぜ、6回目なのか?それは――
カン 干され続ける大根たち(役者にはドキッとする言葉)