西暦1961年のクリスマスイブ。
当時、クリスマスケーキを買うという発想はなかった。
それでも、テレビで流れるアメリカのイブの映像を観て、
母親が、ケーキ造りを始めた。
砂糖が貴重品である時代に、なんとかして、丸いケーキを拵えた。
ホイップクリームなどという贅沢品もなかったが、
どこかから、《バニラエッセンス》という香料を仕入れてきて、
それなりの形と香りを演出してくれた。
ただ丸い丘というのも、味気ないので、母親は、台地の上に、
色づけしたクリームで、「数字」を書いた。
その年の西暦を書いたのである。
テーブルに置かれたケーキを見た次男坊けんじろうが、
数字を読もうとした瞬間、同時に向かい側の席に座る長男まことが、
大きな声で、
「せんきゅうひゃくろくじゅういち」
1961と読んだのである。
兄弟の声が重なった。
(えっ、反対側から読めたんだ)
はたして、それは、回文だった。
どちらから見ても、
1961
どうやら母親は気づいていなかったらしい。
ただ、初めて作ったクリスマスケーキに幸せ感を出そうとの、
こころづもりの年号数字であった。
その夜は、恒例の家族での楽器演奏会をする。
バイオリンをこよなく愛し、チゴイネルワイゼンを弾く腕前の父親が、
扇動し、オルガン、縦笛、トライアングル、そして、
私は、カスタネット担当。
クリスマスソングを数曲演奏する。
カスタネットとは、楽器が弾けないひとでも参加できるように、
考えられたとしか思えない最終楽器。
あれから幾星霜。
ふと思い返してみると、あのケーキの年号は、
非常に稀有な年だったのではないだろうか?
どちらから見ても同じ数字が表れる年は、今後いつだろう?
おそらく次回は、
6009年
4000年ちかく待たねばならない。
そんな事を知りもせず、ケーキを拵えた母親。
それを両側から声を出して読んだ兄弟。
62年前の稀有なひとときである。