コッコッコケッコケッコニワトリが足元に放されている。
けんじろう君が幼稚園の頃、母親が、
庭で飼っているニワトリを食卓テーブルの下に放つ。
ニワトリは、上から落ちてくる餌をついばむ。
そのエサは、主にご飯つぶであり、時には豆だったり、
魚の干物だったりもする。
誰かが意図的に餌を与えているのではなく、
次男坊の口元がゆるく、箸も右手のコブシで握るので、
うまくつかめない。
次男坊の足元にいれば、餌が空から降ってくる。
どうやら母親は、毎朝、食事のあとの掃除に嫌気がさしたらしい。
ひと箇所だけ大量に落ちている残飯。
ひとりだけ不器用にしか使えない箸。
「そうだ、ニワトリをはなそう」
思い浮かんだようだ。
ニワトリは、なんでもつつく。
もし、足の指の上にご飯つぶが落ちると、やはりつつく。
痛い。
しかし、良いことに、けんじろう君はまだ身長が低く、
イスに座ると、足が床に届かない。
床に落ちたモノしか目に入らないニワトリに、
つつかれる心配がない。
コッコッコケッコ
現代の自動掃除マシン、ルンバを65年前に発見した母親。
発明ではなく、発見なのが面白い。
右手を握って箸を持っているのだが、
それでも2本の箸ではさもうとしている。
努力はしていた。
きちんとした持ち方を教えられているのだが、
うまくいかず、握り箸となっている。
いわゆる過渡期だ。
「がんばれ、けんじろう」
自分を叱咤しながら、ゴハンを食べようとするのだが、
過渡期のかなしさ・・・ニワトリだけが成長してゆく。
箸を使っているうちは、まだいい。
茶碗の残りが最後の少しになると、箸をはなし、
右手でかき込む。
いわゆる、「手でたべる」。
猿である。
母親のかなしさは、はかりしれない。
猿の下に、ニワトリが走り回っている。
なぜ、そんなことを覚えているのか?
それは・・・
手でかき込んでいる最中、自分でも、
(これは、もどろっこしいハシを使うより便利だな、
でも、やっぱりハシをつかった方がいいだろな)
子供ながらに、反省をしていたのである。
そして、時折目をあげると、
母親が、テーブルの反対側から、両手で自分のほほに
頬杖をして、面白そうな顔をして眺めているのである。
この子の将来を憂いながら、いまこの瞬間だけは、
「ダメな子ほどかわいい」
という格言を噛みしめていたのかもしれない。