《築地市場》は今、どうなっているのか?
魚河岸の代名詞として、長い間、晴海ふ頭にあった築地(つきじ)。
築地=魚河岸であり、東京都の冷蔵庫だった。
現在、その場所に行ってみると、周りを塀で囲まれ、
内部は見えなくなっている。
と言っても、背の高い人なら覗き込める。
ガラ~~~ン なあ~んも無い。
あるのは、当時の床であるコンクリの連なり。
仲買いがあった場所のカーブの床が見てとれる。
いまから44年ほど前、私はそこでアルバイトをしていた。
《星庄》ほししょう という店で。
大八車の小さい奴、《こぐるま》を押して、茶屋と呼ばれる所に、
お客が買った魚を運んでいた。
時には、バタバタと呼ばれる《ターレー》を運転して、
魚を運ぶ。
早朝5時から、お昼の12時までが労働時間。
一日、4000円
当時のアルバイトとしては、まあまあの賃金だった。
働きとしては、実に真面目だった。
言われたことは勿論、言われないことまでコナシた。
当主(いまは亡き二代目)には喜ばれた。
何と言っても、魚好きには、毎日が楽しい遊園地なのである。
・新鮮な魚を大量に見ていられる。
・捌かれる魚を見ていられる。
・活きたままの生け簀を、上から見ていられる。
・冷凍マグロの電動ノコギリ切断を、見ていられる。
・水槽から逃げ出すカニを捕まえる手伝いをさせてもらえる。
・通路に転がっている冷凍マグロの落とし物を、
拾って届けられる。
・売れ残った魚をタダでもらえる。
・まかない飯に、なま本マグロのすき身丼を食べられる。
・マイナス50℃の冷凍庫に入り、南極気分を味わえる。
朝早いので、通勤には250CCのオートバイで通う。
ある日、隣りの店の主人から、《マグロの頭》をもらった。
おおきなスイカほどもあった。
オートバイの荷台に振り分けに掛けたカバンに入れて、
持って帰った。
まっすぐ帰ればよかったのに、途中で麻雀の誘いがあり、
寄り道してしまった。
家に帰ったのは、夜中。
悪いことに、真夏だった。
バイクから下ろした時、ふんわりと匂いがした。
「ええいままよ」と捌いて食べた。
その後5日ほど、立ちあがれないほどの腹痛に見舞われた。
舞台の稽古に現れないイシマルを心配して、
友人が掛けてくれる黒電話にすら手が伸ばせなかった。
タンパク質が腐ると、危険であると知った悲しき26歳。
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