「AIとアナウンサーの喋りは何が違う」 「AIとナレーターの喋りは何が違う」
この問題をずっと考えていた。
そして昨日、ついにその違いを見つけたのである。
「エーアイが、ニュースを読み上げます」
今現在、この放送が当たり前になっている。
では、AIと人の違いは何であろうか?
・AIはへいばんに喋る
・人間は抑揚がある
あるいは
・AIは間違わない
・人間は言い間違う
この違いは、ある意味、正しい。
しかし、他に決定的な違いがないだろうか?
昨日、ナレーションの現場で、私の頭の上に電球が灯った。
ピンポ~ンと鳴ったような気もした。
《息を吸っていない》
AIは、喋る途中で、息を吸っていないのである。
それに対し、私は喋る前に息を吸っている。
文章の途中で、息を吸う。
そのタイミングは、私の感覚に頼られている。
ナレーション原稿の途中の《、》 とか《。》ではない。
私の肺の活力がかかわっている。
仮に、3行の文章があるとすれば、
どこかで息を吸わねばならない。
《どこか》は、自分で判断する。
その判断のかなめが、《息吸い》となる。
息を吸えば、そこに、《間》ができる。
ほんの小さな間が生じる。
喋りのリズムは、この間で生まれる。
つまり、息の間が、語りの間となる。
では、仮に私が10分間息を止められる人だとしよう。
すると私の喋りは、現在のAIに多少近づくかもしれない。
人にとって、息を吸うとは、
喋るチカラの大きな要素だと、AIによって教えて貰った。
個人個人の息の吸い方が、
その個人の喋りの大きな性格づけになっているかもしれない。
例えば、私は毎年の人間ドックの肺活量の検査で、
哀しい判定をくだされている。
「今年も、女児なみの成績でしたネ」
検査が終わると涙がでそうになる。
「来年はがんばりましょうネ」
20年も、同じ言葉をかけられているのだから、
来年も頑張れるかどうか自信はない。
その私の《息》の吸い方と出し方が、
喋りの根本を造り出している。
ということは、将来もしAIが私のマネをしたかったら、
肺活量を学ばねばらなんでしょ・・・