①「小学生が川で溺れて亡くなりました」テレビで報道されるたびに、つらくなる。
②「濁流を見に行った高齢者が溺れて亡くなりました」
悲しみは、もっとおおきい。
この二つに違いはあるのだろうか?
①は冒険心のある子どもなのだが、
知識が乏しくて、溺れてしまった。
②は、同じく冒険心は、高齢者にもあるのだが、
せっかく学んだ知識を役立てていない。
人間は知識がない場合と、ある場合にも、
同様なミスをおかすらしい。
「知識を役立てられるかどうか」を問われている。
連日、いや毎年報道される水難事故や山岳事故。
いやになるほど刷り込まれた、
「やってはいけないこと」
をやってしまう人がいる。
「つい」とか「えへへ」とかで済ましてしまう感覚が、
哀しい事故を呼ぶ。
50年ほど前、私は千葉の房総半島の海岸にいた。
3人で、海遊びをしていた。
そのうち(私を含めた)二人が沖に向かって泳ぎ出した。
偶然、ふたりは大分県出身。
大分のリアス式海岸で泳ぎを覚えた若者だった。
海に出ると、三方向に岸があった。
いざという時、横に泳げば帰り着いた。
ところが房総は、太平洋にひろがるノペ~とした海。
リアス式のように、入り江はない。
沖に向かって泳ぐイコール、帰るには、
真反対に泳がなければならない。
しかし・・・
そこには、離岸流が流れていた。
岸から沖に向かって流れる強力な流れ!
そんなモノは大分出身の若者(ばかもの)には知識不足。
50mも泳ぎ出した頃、振り返ったら、あっという間に、
100m以上岸から離れているではないか。
慌てて平泳ぎで岸に向かう。
ところが・・・
泳げども泳げども、どんどん沖に流される。
まるで川!
(いったいどうなってんの?)
首を傾げるバカモノふたり。
「まずい!」
何かを感じた私が叫ぶ。
「クロールで目いっぱい泳ごう!相手のことは気にするな!」
それから、どれくらいの時間だろうか、
懸命のクロールを続けた。
かくして、なんとか海岸にたどり着いた。
今考えれば、離岸流に巻き込まれた時は、
いったん横向け(海岸と平行)に泳ぎ、
離岸流から外れてそれから岸を目指せば良い。
ほうほうの体で岸にあがり、しばらく胸を上下させ、
砂浜に寝そべっていた。
もうひとりの友人は、
「どったの?」
心配すらしていなかった。
ま、そんなものであろう。
水難事故は誰にでもおこる。
まずは知識をつけよう。
その上で、知識を役にたてよう。
50年前のあたふたは、極めてギリギリの一線であった。