「イシマルさ~ん」「おお~まさとぉ~」
大きな声で呼び合っているのは、尾瀬の山小屋の前だ。
相手は、尾瀬のボッカ(歩荷)の萩原聖人(まさと)くん。
どこかの役者(雀士かもしれない人)と同じ名前。
6年前、北アルプスの蝶が岳のヒュッテの談話室に、
ポツンと座っていた彼に、声をかけたのが出会い。
理由は、目が異様にキラキラしていたから。
聞いてみると、尾瀬のボッカだというではないか。
その日は、テレビ局の撮影の荷物持ちとして、雇われたらしい。
丸一日、雪で閉じ込められ、滞在を余儀なくされたので、
ふたりで、ボッカ話に花が咲いた。
山小屋への荷物運びが、ドローンのおかげかセイか、
将来少なくなるだろうとの予想から、
未来のボッカ業について、話し合っていた。
その中で、私は、浅草の人力車のような残り方を、
未来像として述べてみた。
人力車が観光地の風物詩となるように、ボッカの姿も、
尾瀬の風物詩となるのではないか。
たとえ、荷物を運ぶ必要が少なくなろうとも、
「ボッカは残る」と口から泡をとばした。
その時、25才まさと君は、ニコニコと聞いていたのだが、
あれから6年後、彼は面白い企画を立ちあげていた。
《ボッカが人間を運ぶ》
ボッカでは背負子(しょいこ)という木でできたモノで、
荷物を運んでいる。
それを利用し、ヒトを乗っけようと言うのだ。
仮に体重が70キロの人を乗せれば、背負子と合わせて、
75キロほどになる。
これを地面に置いた状態から、担ぎ上げるのである。
その上で、尾瀬沼の畔を最低10分以上散策する。
考えただけで、気が遠くなりそうな企画。
「もう、始めているんですよ、乗りませんか?」
人が乗れるように造り足した背負子を差し出してくる。
こりゃ、面白そうだ。
「そうだ」とまでは考えたが、ほんとに担げるのか?
荷物のように、ガッチリと固まったモノではなく、
グニャグニャした人間を乗せ、もし、ぐらついて、
落っことしでもしたら、えらいことになる。
乗り方も考えられていた。
まず、私が背負子に進行方向に向けてまたがる。
つぎに、彼が、背負子を立てていき、
肩ひもを肩に通してゆく。
やがて沈み込んだ彼。
両足にチカラを込め、グッ!
すうぅぅぅ~~からだが浮いた!
浮いてしまえば、もう、完全に安定している。
歩き出す。
かなりガッシリした歩き方。
階段を登るのも、まったく問題ない。
そして、下りだ。
山登りをする人でも、重い荷物を担いでの、下りは、
難しい。
かなり神経をつかう。
ところが、まさと君の下りは、上に乗っている人間が、
ほとんど怖さを感じない非常にスムーズな下りである。
そうか、考えてみれば、尾瀬のボッカは、
重い荷物を担いだ出発地点から、ずっと下りでやってくる。
帰りは軽い荷物を担いで登って帰る。
つまり下りにめっぽう強いのだ。
ゆらゆら揺れている様は、乗馬にそっくりだ。
これなら、客は馬の鞍に跨らせれば良いではないか。
その提案をすると、
「もうそれは考えてあります」と即答。
さすが、手は先に打ってある。
そして、担いで歩いている最中、まるで散歩中に、
普通の会話をするかのように、彼は喋り続けたのである。
そうやって喋れなければ、担いでいる意味がないと言う。
呼吸もさることならがら、
それだけの余裕がなければならないと言う。
10分ほどで乗馬のようなボッカ乗を楽しみ、おろしてもらった。
拍車喝采!
乗車賃、いくらにするのだろうか?
私的には、3000円でも安いと思う。
快適さもさることながら、人間の所業とは思えない強力!
しかも、ボッカさんは、身体が大きくない、そのギャップ。
御嶽山に、ラスト強力と呼ばれる《倉本豊》さんがおられる。
麓から、山頂までヒトを同様に担いで登る方だ。
倉本さんが言うには、もう依頼して来られる人がいないらしい。
御嶽信仰の信者さんも、年齢が深くなり、
もはや担がれるのさえ、苦痛になりかけているそうな。
だから、そろそろ引退を・・・とも考えるものの、
後任者はいないと、なげいておられた。
そうか、場所は違えど、尾瀬で人を担ぐ担い手が、
復活したのである。
「何キロまでは担げるの?」
「120キロ担いだことはあります」
担ぐとは、「担いで長い距離運んだ」という意味である。
いいぞ、まさと君!
未来のボッカが始まった!担いでしまえば、どこまでも