蕎麦の花、ハナ盛りである。 そこは会津の桧枝岐(ひのえまた)の村。
真っ白の花が、「満開です」、「まんかいです」
「ま~んか~いで~す」
満開宣言をしている。
花のあとには、実が焦げ茶色にぶらさがり、
やがて収穫される未来予想。
《新蕎麦入荷しました》
のぼりが立てられ、蕎麦好きな人たちの渇きを、助長する。
尾瀬の福島側の玄関口、桧枝岐村(ひのえまたむら)。
ここでの蕎麦食いは、こう呼ばれる。
《裁ち蕎麦》
裁断する――の裁ち(たち) である。
普段、我々が食べているのと、変わらない裁断だ。
麺類は、「伸ばす」、「切る」のふたつの方法に分けられる。
ラーメンやそうめんは、伸ばす系であり、
蕎麦や、さぬきうどんは、切る系だ。
(中には、刀削麺の「削る」もあるが、いまは忘れよう)
切るだの裁つだのは、包丁を使う。
切ると断面が際立つ。
カドが4本できる。
それが、食感を味わいに変換させる。
「のどごし」を謳っているのは、伸ばし麺であることを考えれば、
切る麺の売りは、口内のひっかかり加減であろう。
ツルツルに対して、ゴシャゴシャ。
ひっかかりを和らげているのは、断面の練り具合かもしれない。
・・てな蕎麦考をしながら、蕎麦屋のテーブルに座っている。
頭の隅に、蕎麦の花の草原がちらついている。
あの白いひろがりに、喉がゴクンと鳴る。
「花を見て、食欲が盛りあがる」
こんな素敵な花畑が世の中にあるだろうか?
仮に、桜を見あげて、ゴクンと、桜餅を連想されたら、
それは飛躍のし過ぎだろう。
わたしの夢の様な蕎麦屋はこうだ。
北海道のような地平線のかなたまで続く畑に、
蕎麦の花がおなじく地平線にまで続いている。
そこに一本の細い道をゆったりと曲がりながら、
てくてくと歩いてゆくと、
一軒の小さな蕎麦屋があらわれる。
入り口の引き戸をガラとあけると、
「ようおいでなさったね」
ばっちゃが迎えてくれる。
壁を見ると、
《もり蕎麦》と《そばがき》しか、お品書きがない。
自分でそば茶をそそぎ、暖炉の横の椅子に座る。
なにも言わなければ、もり蕎麦がでてくる。
それを、ただすすって、あとは蕎麦湯を飲んで帰るだけ。
ソバの実を収穫したあとの、こうだいな草原を、
ただただ・・・てくてく・・・てくてく・・・ バスの窓から