《
ヘルンリ小屋へのアプローチ》
昨日、《危険回避》を楽しんでいる、と述べた。
どういうことだろうか?
アナタは日々の暮らしの中で、
《危険を回避》しようとしている事があるだろうか?
たとえば、信号のある交差点で、横断の為立ち止まる。
アナタは、どこに立っていますか?
(考えたことがない)
というのが、おおかたの意見であろう。
しかし、危険回避を無意識に行っている人間にとって、
道路は危険がいっぱいなのだ。
特に交差点は、自動車という、恐ろしい金属が、
ものすごいスピードで疾走してくる箇所。
もし江戸時代に生きていたとしたら、
そんな辻に立っていられるだろうか?
確率的には、車が自分に向かって突っ込んでくるのは、
非常に少ない。
それでも、ゼロではない。
ささやかな未来予知防御は、してもおかしくない。
なにげない立ち位置の問題。
では、もうひとつ――
アナタは、ビルの林立する歩道を歩いている際、
どこを歩きますか?
1:道路側
2:歩道の真ん中
3:歩道のビルぎりぎり
危険回避を徹底しようとしている人は、3を選ぶ。
ニュースで、ビルの看板が外れて落ちた事件が報道される。
どこに落ちたかを見ると、
ビルからやや離れた所に落ちている。
それは、ほんの50センチか1mか・・・
と考えると、落下物とは、放物線を描いて、
遠くに落ちようとしているようだ。
となると、歩道で安全なのは、《ビルぎりぎり》となる。
「えっ、イシマルさん、いつもそんな事考えて、
歩いているんですか?」
その質問は当たっているようで、すこし違う。
質問の中の 「いつも」 という部分が違う。
そこは 「無意識に」 と変換してもらいたい。
幼少の頃、自転車に思いっきり撥ねられて、
危険回避の考えが身についた。(らしい)
その結果、無意識に《あぶない》所に敏感になる。
敏感になると、ソコを避ける。
危険を予知するようになる。
すると人はわたしにこう言う。
「その割には、危険なことばかりしますネ」
ええ、それには、こうこたえましょう。
「それとこれとは違う」
危険には敏感になるのだが、危険な箇所に近づくのは、
性格なのであります、はい。標高差500mの断崖を登る ヴィア・フェラータ ツェルマット駅の真裏の垂壁