ツェルマットの裏の高原のベンチ
昨日、《危険回避》の話をした。
では、危険回避と危機管理は、どう違うのだろうか?
《危険回避》とは、
降りかかってくるだろう災いを、自力でなんとかするチカラ。
《危機管理》とは、
現在の状況から悪くならない為に、全体の把握をするチカラ。
私なりの分け方をしてみた。
危険回避の備え方については、昨日述べた。
では、危機管理はどうやったら、養われるのだろうか?
会社の社長は、
「危機管理ができないといけない」と言われる。
危機に敏感にならないと社長業はやっていけない。
いや、社長でなくとも、一家の長であってもだ。
そのどちらも、夢がなくてはならない。
夢を語るのが、トップに立つものの務めであろう。
夢とは、はるか先に浮かんでいる雲をつかむようなもので、
掴めない可能性の方が高い。
しかしながら、掴めば、これほど面白いものはない。
それゆえにリスクがある。
リスクは、我が会社を、我が家庭を危機に陥れようとする。
常に、《おとしいれ隊》が待ち構えている。
危機を振りかけようとしている。
という事は、《おとしいれ隊》の発動に敏感になればいい。
《いま》かな?
《コレ》かな?
おとしいれ隊の動きは、予兆がある。
その予兆を敏感に感じるチカラ。
それが、危機管理の発動のスイッチを入れる瞬間だ。
おそらく発動は、平和な時にこそやってくる。
安泰となっている頃に、おとしいれ隊は手ぐすね引いている。
人生、のんきが一番である。
その分、社長と家長が、危機管理に敏感であればよい。
「なんか、やな予感・・・」
これが大事かもしれない。