「寒暖差に注意してください」 真夏から一気に秋本番になると、注意喚起が伝えられる。
たしかに、クシャミをするようになった。
寒いという感覚をおざなりにしているセイだ。
しかしながら、山に登るとは、
「気温の低い所に行く」という意味でもある。
真夏に都会で「36℃越え」と騒いでいる最中に、
3000mの高峰を歩いていれば、
そこは気温10℃を下回っている。
時には、5℃を切る場合すらある。
ということは、真夏に晩秋、もしくは初冬を味わっている。
30℃もの違いは、寒暖差などという単位をとびこしている。
これは山に登る人達だけの特権ではない。
都会で冷房の中で仕事をしたり、暮らしている人は、
寒暖差10℃もの中で生活している。
「一枚はおるものを」
重ね着の習慣を身につけている。
この《重ね着》の考え方をつい忘れてしまうのが、
季節の代わり時なのである。
もう一度、山の話しをすれば、
登山者は、重ね着が当たり前となっている。
登山口から出発する時は、朝早いので、
ティシャツの上に、フリースを着ていたりする。
10分も登っていると、熱くなるので、フリースを脱ぐ。
脱いだものは、ザックにしまう。
ウンセウンセと登り続け、標高があがった稜線に出ると、
涼しくなる。
フリースを取り出して重ね着する。
やがて、もっと高度があがり、風が出てくると、さらに寒くなり、
ザックから、風よけレインウエアを取り出し着る。
5時間も登り続けたあげく、山小屋に到着する。
今夜の宿だ。
歩きをやめると、熱発散がなくなる上に、
山小屋の標高が2500mを越えているので、
寒く感じる。
ザックから、着替えのティシャツを出し着替え、
フリースの上にダウンをはおる。
ズボンももう一枚履く。
靴下も厚手をはく。
かような《重ね着》が当たり前となっている。
常に、重ねられる衣服を何枚も持って歩いている。
だからだろうか・・・
都会でも、カバンの中に、
最低2枚のシャツだのが入っている。
汗対策でもある。
その上、背中にタオルが一枚貼りつけられている。
汗をかいたままで冷房の中に入るのは、
風邪の元だ。
ビショとなった背中から、冷房のきつい場所に入ると、
首の後ろから、ズルズルとタオルを取り出す。
「おお~けっこう汗をかいてるじゃないか」
ところが――
時折、このタオルが重力に負けて、背中からズリ落ち、
腰の所で止まったまま、おケツの方から下に、
ぶら下がっているケースがある。
悪いことに、そうなっている自分に気づかない。
他人が見れば、お尻の所に、タオルがだらりと、
ぶら下がったまま歩いている男である。
この状態に本人が気づくのは、
ショーウインドーに映る我が姿を発見した時である。
愕然とするのだが、決して慌ててはいけない。
「これは、ファッションなのだ」
と、無理やり自分に言い聞かせる。
「わざとやっているのだ」と、堂々と歩き続ける。
そして、道のカドを曲がった辺りで、そおっとタオルを回収する。
その時、気づくのだ。
タオルに印刷された文字を・・・
「別府温泉 保養ランド」 (
バ・バレていたのか・・・)