{セッシャ、ジャパニーズでございます} この夏、スイスのツェルマットの山岳地帯の、
クライネマッターホルンという尖った頂に建つレストランにいた。
ほぼ4000mの標高にあるガラス張りの店で、
カフェオレを飲みながら、時代劇小説を読んでいた。
戦国モノで、分厚い文庫本だった。
なぜ、そんな所で、そんな本を読むのかといぶかしむ方もいる。
私としては、違和感のある小説にひたりたかったのである。
意図した通り、ひたり続け、5時間どっぷりであった。
その時、「隣の席に座っていいか」と、
外国の方が語りかけてきた。
日本人は、私しかいない。
顔をあげた私の口から飛び出したのは、冒頭のセリフだ。
「セッシャ、ジャパニーズでございます」
「拙者」などと、日本でも時代劇以外で喋ったことがないのに、
自然と口をついて出た。
おそらく頭は、ちょんまげを結っていたと思われる。
人は、影響されやすい生き物かもしれない。
先日、録っておいたテレビの録画を観ていた。
落語の会で、早朝から笑いを楽しんでいた。
いわゆる八つぁんクマさんの世界である。
ご隠居と与太郎の噺である。
その世界にズッポリ引き込まれている自分がいる。
そんな時、プルルルル電話がかかってくる。
「へいへい、どちらさん?」
電話の向こうで、一瞬、間があく。
「イシマルさんですよネ」
「おぅおぅ、その声やぁ、〇〇じゃござんせんか」
「どしたの?」
「どしたもこしたもねぇよ、オオタニがえれぇこっちゃねぇかい」
「そうじゃなくて、なに、その喋り方?」
「ん・・・・」
指摘されるまで気づかない。
落語ならまだいい。
その昔、高倉健のやくざシリーズ連作をビデオで観ていたら、
事務所から電話がかかってきた。
「明日のドラマの入り時間なんですが」
「・・・・・・・」
「もしもし、聞いてます・・・もしもし」
「あっしはぁ・・・・・・・・・・・やらせてもらいます」
「いえいえ、入りがⅠ時間早くなりましたから」
「・・・・・・・・・・・・」
「聞いてます?」
「・・・・・・せんぽうさんに・・・どうぞ よろしくぅ」
すっかりその世界にハマり込んでいる。
では、なんでもかんでもハマり込むのかと云うと、
そうでもないのだが、あえて言えば、
ジャッキーチェンのハマり方はひどい。
こっちは、喋りではなく、「落ち着きのなさ」にハマる。
ジャッキーチェンを見たアト、台所で皿洗いをしたりすると、
もれなく、皿を割る。
しなくていい動きをするのである。
そっと置くべき皿を一度空中にほおって掴んだりする。
冷蔵庫を腰で閉め、食洗器を足でひらく。
フライパンをクルクル回すのは、当たり前で、
二つのフライパンを右左放り投げて持ち替えたりする。
まったく意味がない。
つまり、ジャッキーチェンの映画とは、
戦いとかけ離れて、意味がない動きが繋げられているから、
面白いのである。
我が家では、皿も割れるが、卵も割れる。
マナイタから落ちた包丁まで足で受けたりする。
ギャアアア~
だから、台所仕事がある直前は、
ジャッキーチェンの映画は観るべきでない。 西穂高山荘横にある診療所