いまや、AI になんでも聞けば、なんでも応えてくれる。 そう思われている。
実際そうだと、使う人たちは語る。
AIに詳しくない私は、ふと思う。
AIは、自分が下した判断に対して、
《責任》を感じているのだろうか?
いや、責任という観念を持っているのだろうか?
人間は、自らの行動に、責任を持っている。
無責任と言われる人でさえ、
なにがしらの責任は感じている。
無意識に、責任を背負って生きている。
AIにその観念ないし、概念があるのか ないのか?
もし、無いのだとしたら、えらいことである。
AIの言葉を信じて行動する人たちにとっては、
間違った道に入り込んでも、文句を言うサキがない。
「なんで東大なんか受験したの?受かる訳ないのに」
「だって、総理大臣になりたいと相談したら、
AIが『東大受験しなさい』と言うんだもん」
・・・とは、特殊なケースだろうが、
つい、特殊なケースを思い浮かべたくなってしまう。
《責任》と《義務》は人が大人になると、自然と身につける。
他人に大きな影響を与える者の責任は重大だ。
つまり、AIは《者》に近づいている。
者としては、責任の追及も逃れられない。
と考えると、実際はどうなのだろうか?
責任の概念が、あるのか?ないのか?
答えられる方はいるのだろうか?