昨日、他力本願と自力本願の話をした。 これは、本来、宗教の言葉である。
キリスト教は、他力本願だし、仏教は、自力本願と、
学校で教わった。
他に願いを求めるか、自分の中で追及するか・・・
私は、比較的、自力本願が主となっている。
仏や神様に祈りはするが、自分の中で、
なんとか頑張ろうとする。
やおよろずの神とは、そういう存在だと思っている。
私は、崖などの怖い場所に行く。
クライミングをする。
高さ100m、200mの絶壁を登ったりする。
自分で登った崖は恐くない。
ところが、他人に連れていかれた高い場所は恐い。
たとえば、エレベーター(という他人)で運ばれたビルの屋上。
そのヘリに立つのは怖い。
しかし仮に、そのビルの壁をなんらかで自分で登ったとしたら、
全く怖くなく、ヘリに立てるのである。
他力本願と自力本願という言葉を使うのは、
そういう訳だ。
すると、ひとに言われる。
「飛行機は恐くないんですか?」
実は、恐くないことはない。
(否定の否定をズルして使った)
飛行機は、恐いという想いより、
飛行機の楽しさがはるかに上回るから、恐くないのである。
さらには、乗客でありながら、私は、自分で運転をしている。
想像の中で、ああだのこうだの、飛び立ったり、
着陸したりしている。
以前、成田空港のパイロットのシュミレーション施設で、
模擬運転をさせてもらった。
大型の飛行機の運転は、むつかしい。
ハンドルを傾けても、すぐに飛行機は反応しない。
ペダルなども同様。
セスナや戦闘機のような機敏な動きをしない。
うまく操作できないと、不愉快な警告音が鳴り響き、
墜落してしまう。
たとえ模擬でも、冷や汗をかく。
こうして想像のなかで、客席で毎回運転している。
ただし、自動車の運転免許を持っている人が、
助手席に座ると、他人の運転が怖いように、
飛行機も、しっかり運転ができるようになると、
やはり他人の運転は怖いのかもしれない。