
ナンが好きだ。
小麦粉をどうとかした食べ物の中で、
最も心惹かれるムッチリ系である。
私は、
「ナンが好きだ」と言った。
「ナンは好きだ」ではない。
なにか違うのだろうか?
「ナンは」の場合――
なにかの話しのついでに、ナンが登場し、
「うん、好きだよ」程度の話しにしようとしている。
「ナンが」の場合――
積極的に、好きさを語ろうとしている。
今朝、目が覚めた時に、天井のあたりに、
ナンが浮かんでおり、「すばらしい目覚めだな」
思わず手を伸ばしかけたのだった。
実は先日、インドカレー専門店の扉をくぐった。
いちいちメニューをひっくり返したあげく、結局、
「本日のおすすめカレー」を注文した。
ライスかナンかの質問をされる前に、
「ナン!」 キレよく発声した。
しかして15分ほど待つと、それ(冒頭写真)が来た。
・・・・・・おおきい・・・・・
好きなものは、たくさん食べたい。
子供の頃からの願いである。
しかし、限度というものもある。
ナンとは、自分が想像したより大きなモノがやってくる。
これまで、インドカレー屋さんで、
(これ、ちっちゃくないかい?)
と首を傾げたナンはなかった。
いつも、たっぷり感に満ちたナンにありついていた。
でっぷり感にうれし涙が出たものだった。
数か所、空気で意味なく膨らんだ箇所をつついたりした。
引き千切ろうとすると、安々とキレてくれないもどかしさに、
「ウイ奴」などと呼んだりした。
ブチっと千切れた端切れを、カレーの中に突っ込む際、
どの程度のカレールーを塗りたくれば良いのか、
スプーンを使うべきか・・・悩んだフリさえした。
そんな悩みなど、ふっとぶほどのデカさが目の前にきた。
大盛りの大盛り!
基本的に、「ムンクの叫び」型をしているナンなのだが、
悲しみの余り、おお叫びし過ぎたムンクと言えなくもない。
「ぜんぶいけるだろうか?」
当然の不安がよぎる。
もし、ぜんぶいけなかった時、どちら側を残せば、
気持ち安らかでいられるだろうか?
尖った方か、まあるい方か?
まあるい方が、良く伸びているので、パリパリ感があり、
尖った方は、モチモチ感を売りにしている。
などと言っている内に、両側から引き千切り始め、
ルーをぬたくり始め、
やがて、「お勘定を」と腹をなでた頃には、
ひとかけらも残っていませんでした・・・とさ。
だから言ったじゃないか、「好きだ」と。
