
《
屋久島 宮之浦岳》
昨日、ウインドサーフィンで海の上で眠くなる話をした。では、山に登っていて、眠くなることはないのか?
ある訳ないだろうと、思い込んでいたら――
3年前の大晦日に、屋久島の宮之浦岳1936mの頂上にいた。
雪がザカザン降って、80センチ積もっている。
さて、帰りの下りには、《トロッコ道》を歩くのである。
昔、切り出された屋久杉を運ぶために造られた軌道。
8キロにわたり、狭軌線路が敷かれている。
(今もいちおう現役)
線路と線路の間には、木道が作られ、
登山者に「どうぞ」とさしだしてくれている。
コトン コトン、コトン・・・
登山靴の自らの足音を聞きながら、黙々と歩く。
微妙な下りである。
普段、山道を歩いていると、いろんな物事を考えている。
ただし、常に危険と隣り合わせなので、ボ~とすることはない。
たとえば、道間違いや、つまづきやクマやイノシシの出現など、
危険回避、危険察知に脳みそを活性化させていなければならない。
ところが―――
トロッコ道とは、道を踏み外す心配がない。
崖に落っこちるとか、頭に枝をぶつけるとか、なにかがとび出すとか、
アクシデントが無い道なのである。
そうなると、当然のように、どこかに想いはとんでゆく。
「忘我」の世界とでも言おうか、
はるか昔の想い出や、空想の世界や、アッチにソッチに、
想いは深く沈んでゆく。
すると、「歩いている」という行為を忘れだす。
《あるく禅》というモノがあるが、まさにその世界。
半分眠っていると言っても構わない。
ウインドサーフィンで、そうだったように、
眠っているのか起きているのか、定かでない状態。
屋久島の山中には、トビウオがとびださないが、
鳥のとび出しはあるかもしれない。
ただ年末の雪の中では、何ものも眠りの邪魔をしなかった。
ただただ、自分の靴音を子守歌代わりにききながら、
2時間の半眼のひとときを過ごしたのだった。

コトン コトン コトン コトン コトン コトン コトン