時折、サバの生け簀がある飲み屋がある。見つけるのは、おおむね店に入ってみて初めて分かる。
入り口近くに4畳ほどの広さの青い色の生け簀がデンとある。
そこには、青い魚しか入っていない。
サバとかアジとかである。
同じ青だからと言って、イワシを入れると、
サバに食われてしまうので、入れられない。
たまに、底にヒラメがジッとしている場合もある。
鯛も泳がされている時もあるが、それはイレギュラーだ。
青魚が活きたまま泳いでいるのは、胸がすく思いがする。
赤い魚より、活きている感が強い。
本当は、縦横10mくらいの生け簀で泳ぎたいのだが、
ガマンして泳いでるような気がする点がいい。
ただし、生け簀の彼らは仲間と共にいる。
日にちが経つと、だんだん仲間がいなくなるのだが、
その点にこだわっていないような泳ぎ方なので、
こちらとしても、安心していられる。
魚類は、親戚や友人が、目の前でいなくなっても、
慌てている様子がない。
それより、自分の食事の方に気がいってしまっている。
これは、ニワトリでも同じだ。
朝起きて、コケッと鳴いた時に、
夕べまで一緒に飯を食っていた友人がいない。
気が付かないハズは無いと思うのだが、コケッコケッコケッと、
大騒ぎすることはない。
ライオンやクマともなると、目の前から友人が消えようものなら、
大騒ぎして、捜索隊を繰り出し、自分がリーダーとなって、
夕陽に吠えたりする。
《哀悼の意》にこうべを垂れたり、嘆き悲しんだりする行為は、
動物の種の、どこで線引きをされるのだろうか?
何が、線引きのラインを決めるのだろうか?
サバの生け簀に両手をつきながら、そんな事を考えていたら、
「おお~い、生ビールきましたよ~」
刺身で