
《
ふたりがスウアンコテンパイ》
《麻雀》 マージャン
まあじゃんと言うひともいる。
34×4個
136個の杯(パイ)を使う。
数が多いと、複雑さが増す。
トランプは52枚。
その倍以上の数のパイを駆使してゲームがおこなわれる。
4人のヒトがゲームする。
そうなると、4人の思惑も関わり、どれほど複雑になるのか。
たとえば将棋の世界には、《一億と3手をよむ男》がいる。
佐藤康光九段だ。
ほんとかどうか分からないが、それほど凄まじい才能という訳だ。
しかし、麻雀のソレは、一億どころではない。
生涯麻雀をやり続けても、同じケースは現れない。
人類すべてのヒトが、毎日5時間、生涯やり続けても、
同じケースは現れないとさえ言われている。
さほど、確率が多岐にひろがっている。
面白いことに、ゲームを行う時間が長い。
たとえば、素人は将棋を5時間もしていれば、疲れてしまう。
(プロ棋士は、12時間を超えてぶっ続けられる)
他のゲームで、12時間以上、同じゲームを続けられるモノが、
あるだろうか?
昨日、「その昔、私は48時間続けた」と書いた。
ということは、あと3人が同じく続けた訳である。
窓のない部屋でやっていたので、昼なのか夜なのか分からなくなる。
時計を見て9時と分かっても、
朝の9時なのか、夜の9時なのか分からない。
席を立つのはトイレの時のみ。
途中8回ほど店屋モノを食べた記憶がある。
つまり6時間に一回、カツ丼やら親子丼やら、
またカツ丼やら親子丼やらを食べたという訳だ。
携帯電話もない時代なので、外への連絡すらしない。
誰も、「やめよう」と言わなかった。
では、なぜそんなに続けたのかと言えば、単に、
「面白かった」のである。
常に新鮮なパイが配されるゲームに、毎回新鮮な驚きがある。
当時、《麻雀全自動卓》が出始めた頃で、
人間が、パイを積むという労働をしなくてよくなった。
疲れにくくなったと言えよう。
「ギャンブル悪い」というレッテルが剥がれだした頃だった。
「ゲーム」の香りがし始めた頃だと言える。
どうしても大金をかけて戦う映画のイメージが強いが、
むしろ、ゲーム性に目覚め始めた時代かもしれない。
この時は幸い4人ともお金を稼げない、
しがない役者生活をしていたので、
大金など掛ける必要も、財源もなかった。
ただただ、面白かったのである。
さすがに丸二日、(あとで分った)48時間たった頃、
ひとりが眠りながら、手を動かしていた。
自分の目の前の17枚の杯を、手前に隠して置くのだが、
なぜか皆に見えるように向けて置いている。
つまり反対向け。
トランプを皆に見えるように持つのと同じ持ち方。
これは異常事態!
さすがに、「やめよう」と誰ともなく言い始める。
麻雀は、ギャンブル性を外して、ゲームとしてみれば、
優れた遊びであろう。
夜を徹してなどをしなければ、楽しく生涯遊べるものである。
手を動かす、頭脳を使うというメリット以外に、
集まる人たちの会話を楽しむ場でもある。
運転免許の返納は考えなければならないが、
麻雀に関しては、やめるキッカケが見つかるだろうか?
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