
《
涌蓋山 わいたさん》
ドローン映像が、テレビで観られる。
特に、山の中で撮られた映像に、驚きを感じる。
これまで観られなかった視点で山を知る。
岩場を登るその姿は、ヘリコプターで撮った時代とは、
かなり違う見方となっている。
っとここで、こんな意見が掛けられる。
「あんな映像を見て、その山に行ってみたら、
ずっと山道にへばりついているだけで、
実際は違うじゃないか!」
確かに、見えないモノを見せてくれているドローン。
「空に浮かぶ」という、ある意味、《鳥》あるいは、
《神》の視線で、世界観を変えてくれる。
「実際は違う」 といぶかる方の意見は、
一見正しいようだが、こう考えてみよう。
人は、想像をふくらませることができる動物だ。
これまで山を、写真や映像で見てきた。
それが頭の中にあり、登っている。
たとえば、富士山に登る際、自分の目だけに頼るなら、
ほとんど、目の前の斜めの地面しか見えない。
富士山の全体像は浮かばない。
頂上にたどり着いたとしても、
それ以上斜めが無いだけである。
しかし、テレビで見た映像で富士山の全体のどの部分を
歩いているのか、想像が働く。
その想像のお手伝いをさらに広げてくれたのが、
ドローン映像である。
もっと想像を膨らませよう。
富士山では、その地下の仕組みを、デジタル映像で、
見せてくれる。
どうやって富士山が生まれ、マグマの通り道があり、
いつ、噴きだして今の形になったのか、
時間を縮めてあらわにしてくれる。
そしてついにアナタを宙に浮かせ、見たかった景色を、
存分に見せてくれる。
それが、ドローンだ。
言い方を変えれば、《幽体離脱》を実践していると言えよう。
いい時代に生まれたと感謝したい。
「ドローン映像なんかインチキじゃないか!」
と口を突きだす方には、こう諭してみよう。
「山の紀行文で、登った気持ちになりませんでしたか?
あれとて、ドローンとなんら変わりませんよ・・・」
紀行文では、アナタの想像力に任せられたのですが、
ドローンは、《誤解》を解き明かしたのかもしれません。
画眉鳥 がびちょう