「6月は335キロ歩きました」歩く人がいる。
毎月、歩いた距離を報告してくれる。
彼は健康の為、歩いていたのが習慣となった。
昔から、歩く人がいる。
小中学校の頃、大分県の田舎では、学校区が広かったので、
皆、歩くしかなかった。
バス通のバスもないし、クルマで送ってくれる親もいないし、
その車も無かった。
1時間歩くのは、当たり前・・・
中には、2時間歩いてくる友人もいた。
彼の家は、山の中腹にあり、行きは標高差100m下り、
デコボコ道路を背中にランドセル姿で、
てくてく歩いて学校までやってくる。
当然、帰りは、ラストに100mの登りが待っている。
なぜ、彼の家を知っているかと言うと、
ある日、遠足で学校から、遥か彼方まで歩いてきたら、
彼が突然指さすのである。
「あそこにある家が、ボクんチ」
皆が首が痛くなるほどの角度で見上げると、
「ボクんチがあった」
つまり彼は、朝この家から小学校まで歩いてきて、
皆と一緒に、遠足として歩き出し、自分チまでやってきた。
逆遠足をやったことになる。
「じゃあねぇ~」 別れようとしたら、彼が言う。
「学校まで帰らないと遠足にならないから、一緒に行くヨ」
ちょっと待てよ・・・ってことはだネ、彼は2往復する訳だ。
「足が痛てぇ~」大騒ぎしている仲間の先頭に立ち、
さっそうと歩いている。
彼にとっての《遠足》とは、「仲間と一緒に歩く」楽しみである。
距離はまったく意味がないと理解したあの頃――
私もまあまあ歩く方である。
18才で東京に出てきた頃、電車に乗るという習慣がなかった。
電車を汽車と呼んでいた頃、どこに行くにも、歩いて行った。
1時間、2時間歩くのは当たり前で、
当時住んでいた西武池袋線の《椎名町(しいなまち)》駅から、
小田急線の成城学園まで歩いたこともある。
あるいは、大手町の喫茶店でアルバイトしていた時、
ストライキで都内の電車がすべて止まった一週間の間。
3時間かけて歩いて行った。
4時間働いて、ふたたび3時間かけて歩いて帰った。
効率の悪い通勤なのだが、歩いてきたのが私だけなので、
雇う側には重宝された。
だからと言って、ボーナスは貰えなかった。
「好きで歩いている」と思われたらしい。
まあ、その通りだったのだが・・・
大分県奈多の海岸に大昔の灯台を見つけた