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1972年 4月16日>
何だろう? この日は・・
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イシマル君、その当時19歳!
ピチピチの青春真っ盛り!
真っ盛り過ぎて・・
ディスコに狂った。
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MUGEN> (ムゲン)
東京は赤坂に無限(
むげん)という名のディスコがあった。
ワンドリンク付で1400円払わされた。
(1日のアルバイトで1500円の時代だ)
まあ、高級ディスコと言える。
イシマル君、通った。
踊り狂った。
いや、踊りというより、
単に飛び跳ねているといった方がいい。
さてさて、最初の日付けのナゾを語らねば・・
その前に・・そこは
三階建ての
円筒形のディスコだ。
周りをグルリと
椅子席が取り巻いている。
ダンスフロアには、電動で上下する、
直径2メートルの円筒形のお立ち台がある。
そこに、お店側の
ダンサーがいて、
激しく体をくねらせている。
我らがイシマル君、いったん踊り(飛び跳ね)だすと、
2時間は休まない。
さあ、その日、コーラを飲みに休みに入ったイシマル君、
フロアの反対側に、ディスコには珍しい
白髪の老人が
いるのが気になった。
ただただ、じ~と、フロアの
ダンサーを眺めている。
以前、教科書の写真で見た、<
川端康成>そっくりの
風体をしている。
ガリガリに痩せて、白髪頭が、照明に虹色に光る。
さ~て・・次の日、テレビが大騒ぎしていた。
『文豪、
川端康成、自殺!!』
それから、どれくらい経ったろうか・・
ある時、川端康成の回顧話を読んでいたら、
自殺の前日に、<
赤坂のディスコにいた>という記述があった。
ふ~ん、アレはやはり、
川端康成その人だったのか・・
今生の別れに、イシマル君の見苦しい踊りを見せて
ごめんなさい。
いやいや・・・
まさかとは思うが・・
最後の最後に、あの方は見たかったのだろうか
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赤坂の踊り子>を