熊人間は、クマを怖いと思う。
一生を通して、クマに遭遇したことがない人の方が多い。
それは、オオカミも同様であり、トラもしかり。
では、なぜ恐いと知っているのだろうか?
すべては、情報のおかげである。
テレビで見るし、情報誌でも読む。
その昔は、町の人たちの立ち話で怖さを、知り得た。
ところが肝心のクマは、人間が恐いと思っていないフシがある。
街に現れ、のしのしと歩く姿は、
(ま・いんじゃない)的な余裕を感じる。
彼らには、情報伝達機能が働いていないらしい。
たとえば――
先日、バンッと鉄砲で撃たれたクマは、
そのことを仲間に教えるヒマがなかった。
クマネットワークに届かなかったのである。
熊猟師さんが東北以北に、おられた。
今では、ほとんどその姿を見られなくなったのだが、
10年ほど前に、岩手県の久慈でお会いした猟師さんは、
クマの話しを淡々と語ってくれたものだった。
「あそこに見える雪山に、アンタだったら、
どんくらいで登るかい?」
標高差100mはあろうかという急斜面の雪山を指さしている。
「1時間くらいかかると思います」
「クマはよ、30秒で登っちまうでナ」
ひぃ
桁違いの体力に声も出ない。
「あいつら、ワシらを怖がっとるけ、ようよう出てこね」
人間様を怖がっていると言う。
たぶん、人間様ではなく、鉄砲を持った漁師さんのことだろう。
その情報を、《たち》と呼ぶべき、クマの種全体に広げている。
種が、「怖い」情報を共有しているらしい。
何かの方法で、教え合っているらしい。
さほど群れないクマたちに、もしテレパシー的な教え方が、
あるのなら、ぜひそれを使って広げてもらいたい。
テレパシーが無いのだとしたら、
いにしえの方法をとるしかないではないか。
それは残酷な方法と言われるかもしれない。
カラスの害を防ぐ為に、畑や民家の軒下に、
カラスの死骸を吊るしていたものだった。
死骸そのものは、匂いを発するので、似た人形を吊るした。
確かに残酷ではあるが、一応効果はみられた。
「それはカラスだから・・・・・・」
ではクマには?
そうクマは、愛すべき動物でもある。
サーカスで芸を魅せるほど、頭も良い。
人間じみた動作も、好かれる原因だろう。
その死骸を街の外れに吊るせるだろうか?
仮に人形ならば、吊るせるだろうか?
もしこれで効果があったとして・・・
ヒトとして、教育的にいかがだろうか。
子供にはどうだろうか?
考えることがいっぱいある、クマへの情報伝達方法だ。