ジョギングタッタ タッタ タッタ
基本的に、長距離走が得意でない。
遅筋と速筋に分けるなら、私は速筋系である。
マラソンよりは、100m走の方が向いている。
そんな人でも、ジョギングはやらねばならない。
心肺能力だの、下半身の強化だのを考えると、
最終的に、《走る》しかない。
プールも心配能力を高めるが、重力との戦いではないので、
全身の重みを使う、下半身強化には生かせない。
やはり「走る」以外にない。
「強化しなければいいじゃないですか」
という意見もある。
たとえば、山に登れば、充分強化できる。
ただし、走るのとは、どこか違う。
山に登る = 坂道をあるく運動
走る = 命の危険の時のみの運動
ご先祖の人間の成り立ちから、筋肉を推測すると、
《山登り》は移動の際に、誰もがおこなう運動だ。
対し、《走る》という行為は、異様な運動なのだと分かる。
意識しないと、する必要のない運動とも言える。
命の危険さえなければ、生涯走る必要はないかもしれない。
つまり、我々は、「しかたなく」走っている。
しなくて良いことを、無理にしている。
この思いが、常に渦巻き、走っている最中にも、
(やめたいな・・・)
マイナスばかりが、景色の楽しみを凌駕しておそってくる。
そこで、なんとかすべく、人は考えた。
・タイムトライアルにしよう。
・人と競おう。
・走った距離を束ねて記録しよう。
なまじっか頭脳が明晰になったばかりに、
走る意義を見出せないと、走らない人たちが増えた。
その中で、まだまだ走っている我が身には、
ムチを打たねばならない。
「なぜ、我が身にムチを打つのだろう?」
考えてはいけない。
「身体に良いのかな?」
迷ってはいけない。
「ヒザに悪いんじゃないのか?」
懐疑心を締め出さねばならない。
部屋の中に、走る服や道具を吊るしておきましょう。
目に見える場所に・・・・・
八ヶ岳 赤岳