先日、新幹線に乗り大阪に向かった。降りた新大阪駅から、列車を乗り継いだ。
JRから私鉄に乗り継ぐと駅間に、けっこう歩く距離があった。
最終的に、新幹線を入れると、6本の列車に乗った。
今、日本に日帰りできない所はない という思いと共に、
「遠くに行く」 とは、こう言うことだと楽しくなった。
終着駅は、「どんつき」だった。
どんつき とは、もうこれ以上頑張っても行けないという意味。
「線路は続くが、ここでお終い」という意味ではない。
たとえ暴走列車が現れても、先に行けない仕組み。
ホームの端と線路の端が同じ位置にあり、
ホームはそのまま改札へ。
線路は、枕木などでがっちりガードされている。
ブレーキミスをすると、
「ドンッ」と着くから、「どんつき」だと理解する。
大分県の豊後高田市は、現在、《昭和の街》として名高い。
ボンネットバスが走り、昭和懐かしの家々が並び、
親しみのあるレトロを味わうことができる。
そのバスの出発点が、その昔の列車の「どんつき」だ。
いまや、線路は取っ払われ、雰囲気だけは、
当時の「どんつき」が感じられる。
私が幼稚園、小学生の頃、列車を降りて「どんつき」を、
見た時の記憶が新鮮だった。
「線路に終わりがある」
まださほど、列車に乗った訳ではない子供にも、
線路の末端を見るのは、驚きで、
「けんじろう!はやく来なさい!」
急かされたものの、はじっこの線路の断面が気になって、
しゃがみこんでいた。
次に「どんつき」を見たのは、東京に出てきた時、
《西武池袋線 池袋駅》
そこには、枕木などという生易しいものではなく、
あきらかに強力なクッションを仕込まれた金属性の丸いモノ。
当時の新幹線のノーズの部分に似て、
ドンッを、「受けとめる」心が現れていた。
大勢の通勤ビトがあるく通路で、しゃがみ込む青年となった。
(どんつきが、好きなのかもしれない)
自分の好みを発見していた。
そして、先日の列車の旅。
北大阪の終着点の駅で、どんつきを見た。
どん と着いてはいけない端っこをマジマジと見ていた。
「しゃがんだんですか?」
いえ、しゃがむという形は、駅ではやめたほうがいい、
と気づいたので、立ったまま、見つめていました。
「なぜ、やめたほうがいいのですか?」
しゃがむ形は、落としたお金を探すとか、の形なので、
駅では向いていないと考えたからです。
「線路に降りないで下さい」
駅員さんに注意されるやもしれず、どんつきでは注意が必要です。
と言いながら、また列車を6本乗り継いで、家路を急ぐのでした。
(あっ正確に言えば、9本乗りました)
帰りの車内で、《どんつき音頭》を作詞作曲し、
口ずさんでおりました。
阪急電車 能勢線