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天気後報> をしてくれないだろうか?
近年、天気予報が良く当たるようになった。
30年以上前では考えられない程良く当たる。
昔は、天気予報と大分県のフグはまず当たらないと云われた。
それがどうだ。相変わらず大分のフグは当たらないが、
天気予報の進化の驚く事!
テレビの予報では、
『それでは、これからの雨の動きを見て見ましょう』
って、お前は神様かという位、鮮明なCG画像を見せてくれる。
未来の雨を降らしてくれるのだ。
本当に雨が降るような、錯覚をしてしまう。
そこでだ、その日の終わりにコレをやって欲しいのだ。
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天気後報>
『では、本日の朝7時に出しました予報と、
実際のお天気を
比べてみましょう。』
CG画像も色を変えて、重ねちゃったりする。
予報と現実が、どれほど似通っていたか、検証する。
どれほどかけ離れていたか、検証する。
早い話が、{言いっぱなしはダメよ!} と云う事だ。
予報などという、神の領域にちょっとでも踏み込んだ人達は、
大きな責任と
検証作業を負わなければならない・・と思う。
今までは、責任は、重圧として負ってきた様な気がするが、
視聴者に向けて、検証はやっていなかった様だ。
さあ、この天気後報!
面白い番組になると思われる。
民放であれば、様々な趣向を凝らせるだろう。
当たった、当たらなかったで喧々諤々。
天気後報評論家も出てくる。
なぜ当たらなかったかの討論が行われる。
最後に、明日の予報をするのだが、
良く当たる気象予報士と、よくハズレる予報士が現れ、
それぞれ、予報する。
視聴者は、信じたい方を信じればいいのである。
そうか、<週間天気後報>は大変だなあ~
よもや、
「今年一年の、天気後報です・・・」