
「い、いきが出来ない・・」
3年前、肺炎になった。
風邪をこじらすと、肺炎になると聞いていたが、
確かに、こじらせた。
38度以上の熱が続いていたのに、撮影を続けていたのだ。
そして、やっと、休みになり、
そうだ!郷里の大分に帰ろう!
って事になり、羽田空港に向かった。
飛行機に乗り込んだ。
ここまでは、順調だった。ナンともなかった。
ブ~~ン、飛行機が大空に舞い上がる。
高度がどんどん高くなる。
「うっううっ・・」
息が出来ない。
左の脇腹が痛い。もの凄く痛い。
息をしようとすると、脇腹に針でも突き刺されているかのようだ。
気圧の変化で、肺に何かが起こったらしい。
これはただ事ではない。
カバンから、紙とペンを取り出し、客室乗務員を呼び、
筆談を始める。
「いき、できない」
『苦しいのですか?』
「くるしい。エアーほしい」
『解りました、前の席に移って頂きます』
「うごくのいたい」
『お客様の中にお医者さまがいないか、放送致しますか?』
「したら、どうなる?」
『
大変な事になります』
「しなくていいです」
『大分まで我慢出来ますか?』
「わからない」
『では、羽田に引き返しますか?』
「ひきかえしたら、どうなる?」
『
大変な事になります』
「かえさなくて、いいです」
かくして、最前列の席に搬送された。
血圧を測られ、酸素ボンベから、チューブで酸素を送られた。
この時、折りしも、鳥インフルエンザが大流行の真っ最中!
肺炎=鳥インフルエンザの図式が出来上がっていた頃・・
周りの乗客が引き始めた。
その冷たい視線で、初めて気付いた。
(そうか、これは肺炎なのか?)
ピーポーピーポー、
1時間半の苦闘の末、大分空港にランディングした。
そこに待ち受けるのは救急車。
ただちにストレッチャーに乗せられ、サイレン高々、病院へ。
『あら、あんた!』
同乗の救急隊員は、年配の方であった。
『おとつい、
テレビ出ちょったなあ』
そうそう、確かにおとつい、東京フレンドパークなる番組に出て、
トランポリンで跳んで、壁に張り付いたりしていた。
勿論収録は、随分前に撮ったものだが、
『ピョンピョン跳びよったが、
おとついは、元気良かったんかえ?』
お願い、おいちゃん、肺炎で一番苦しいのは、笑う事なのよ・・