
ある舞台の稽古中の事だ。
共演者の、三上市朗(みかみ いちろう)が言う。
「イシマルさん、ボクにもそのスリッパ持ってきて下さいよ」
私は、その稽古中、ホテルに泊まっていたのである。
そのホテルから、
使い捨ての白いスリッパを持ってきて、
稽古用に履いていたのである。
それが羨ましかった彼が、ネダッタ訳だ。
『おぉ、いいよぉ~』
気軽に応えた私。
それから、毎日、三上くんの声がかかる。
「持ってきて呉れましたぁ?」
『あっ、ごめん!忘れた!』
次の日も、
「今日は、持ってきて呉れましたぁ?」
『あっごめん!又、忘れたぁ~』
これが、二日や三日なら、良かったのだが、
一週間ほども続くと、会話も変貌してくる。
「ボク、もう期待してませんからね」
『あっすまんすまん・・ほんとに悪りぃ』
そうしたある日、ホテルを出る直前にその事を
思い出したのである。
思い出した事実に大きな感動を覚えたのである。
何を大袈裟なと言われるかもしれないが、
ホテルのドアを出る際、
『いやっほぉ~~~!』
奇声を発していた。
しかして、稽古場だ。
三上が、仏頂面でやってくる。
やには、私が手をヒラヒラさせて、呼び寄せる。
『三上くん、ちょっとおいで・・』
「なんすか?」
じゃあああ~~~~ん!!
カバンの中から、白いスリッパを取り出し、
頭上に高々と掲げる。
『どうだあぁ~~!』
そのアトの三上のひと言が、今でも私に、ショックを与えている。
「へぇ~片方ですか・・」
カタッポウしか持って来ていなかったのだ。
高々と挙げた手を下ろしながら、
私は、少し自分に、自信を無くしてしまった。
次の日、もうカタッポウを持って行ったのだが、
稽古は、その日で終わりだった。